清々しい青空を僕は見上げていた。
空中で結界を展開したあの後、双葉が作った網に捕まえられ、今は抵抗が出来ないまま引き摺られている。前に魔術でこの網を破ろうとしたのだが、魔力を吸収する素材で出来ていたため効果が無かった。
それに地面の上を引き摺っているため、正直言って痛い。小石に当たって切り傷も出来ているというのに、双葉はそのまま何事も無かったかのように引き摺り続けた。
「こんなの傲慢だ……。罪人にも人権はあるんだぞ? もっと普通に対応しろ……」
「女の子を傷つけた罰です。女の子を傷つけた罰は、終身刑よりも重いですよ〜? それとも、もっと優しく接して欲しいですか?」
双葉がクスリと笑う。あの目は間違いなく僕と抱きながら歩こうと思っている目だ。
双葉は甘えん坊で、昔から僕にちょくちょく抱きついてきた。双葉が心から話せる相手は姉さんか、今は家にいない昔いた兄貴か、僕だけだったかもしれない。今は兄貴がいないから、僕により甘えてくるのだろう。
だけど、僕たちの関係はあくまで兄妹だ。恋人ではない。僕や双葉自身がそういう考えしていなくても、何も知らない周りの人たちが見たら誤解してしまうだろう。
だからあえて今まで抱きつかせていなかった。だけど本当は甘えに答えなければいけないのに……。そうしないと双葉はまた……
「周りに人もいないし……甘えても……良いですよね?」
「……だけど」
やはり僕は考えてしまった。この考えている時間だけでも双葉を苦しめつけているというのに……。
「兄さん……」
双葉が何も言わずに抱きついてくる。その瞳からは少し涙が零れていた。
「兄さん……私――」
「あっ、先輩〜」
突然後ろから声が聞こえたので、僕たちは慌てて離れた。
振り向くと、そこには右髪に緑色のリボン、ショートヘアーの少女がこっちに向かって来ていた。
「おはようございます〜。葉先輩、双葉先輩〜」
このとろい口調の少女は、木宮楓。愛称ふーちゃんだ。僕の一つ年下だけど、学園は魔力で数値でクラスを決めているので、魔力の数値が高い楓は僕と同じクラスにいる。
「うーん……私、まだ寝ぼけていたんでしょうか? 葉先輩と双葉先輩が〜抱きついていて、良い雰囲気を作ってたような気が〜するんですけどねぇ……」
楓は目を擦りながら、満面な笑顔で僕たちに問い詰めてきた。その笑顔の顔を見ていると嘘はつきにくいが……ここはそれでも嘘をつかないといけない。
「楓、お前の見間違いだろ? それと今日は何時間寝た?」
楓は指をゆっくり折りながら答えた。
「ん〜っと……、えっと……、多分〜十四時間ぐらいじゃないですか〜?」
「僕たちからすると十分だが、楓からすると不十分じゃないか?」
「ふえ〜、そ〜ですね〜」
自分で納得した後、そら〜、と言いながら楓はふわふわ宙に浮いた。
楓には魔術を使わずに、自分の周りの重力を変化することができ、自由に空中を浮くこともできる“重力操作能力”。通信機も使わずに、相手の心に直接自分の思想を伝えることが出来る“精神思想伝達能力”。そして、全く効果がわからない『約束ノ詩』を持っている。
そして、楓が契約する時に払った代償は、人間的活動時間だ。活動時間の代償は一日に起きている時間が他人よりも少なくなっている。簡単に言うと、起きているだけで睡魔が襲ってきていると言ってもいいだろう。
そら〜、そら〜、と呟きながらふわふわ浮いている楓を見る。目は完全に瞑っており、寝言を言っているような気がした。
「楓……起きてるか?」
「起きてますよ〜? 雪菜先輩〜……」
気がした……ではない。やっぱりと言ってもいいのか、明らかに寝ていた。
「……楓、早くしないと遅刻するから……行こうか?」
「そうですね〜……。行きましょうか〜先輩……」
ふわふわしながら呟いた。しかし、全く動こうとはしない。
「どうしよう、兄さん? ふーちゃん、寝ぼけてますからいくら待っても無駄だと思いますよ」
「……はぁ。無理やり連れて行くしかないか……」
「無理やり!? ……兄さんって、そんな趣味あったんだ……」
双葉は「ふ〜ん……」と呟きながら、僕を差別する目で見た。
「お前の脳内では、僕の言葉が何に変換されているのか知りたい……」
本当に何を考えているのか知りたい。じゃないと、こいつの行動の理由が分からないからだ。甘えたり、怒ったり、殺されかけたり……。どこかのアニメじゃないんだからな……。もしかしたら自分の事、悲劇のヒロインって思ってないか?
「それにしても、無理やりはいけませんよ。無理やりは」
双葉がそう言いながら、バットを創りだした。
「ちょっと待て! バットも無理やりじゃないのか!?」
「少しショックを与えて、寝ぼけを覚まします」
「それを無理やりって言うんだ!!」
僕の言葉を無視して双葉はバットを大きく振りかざした。
―ゴツッ!!―
大きな衝撃が楓に襲った。その衝撃は頭を見事にクリティカルヒット。
案の定、楓は頭を抱え、ぷるぷるしながら涙目でこちらを見ている。
「いたい〜……ですよ〜……。何するんですかぁ〜双葉せんぱ〜い……」
「ふーちゃん、まだ寝ぼけてるんですか? 私は何もしてませんよ? ふーちゃんが勝手に木にぶち当たっただけでしょう?」
子悪魔だ。子悪魔だこいつ……。表面では天使のような笑顔をしているのに、裏面では強欲でずる賢い子悪魔だ。
「そ〜なんですかぁ……? でも……おかげで目が覚めました〜」
そのみえみえな言い訳に納得している楓もすごい。
「先輩〜、早く学校行きましょうよ〜。遅刻しますよ〜?」
ふわふわ浮いていた楓は体勢を変え、マッハの如く飛んでいった。
引力の方向を地球の核ではなく自分の進みたい方向へと変えたのだろう。
飛んでいった楓の姿はもう見えなかった。
だが、僕の後ろでは疲れきった双葉がため息をついていた。
「若いって、いいよね……。私なんか……身体も心もズタボロです……」
さっきまでの勢いはどうしたんだ? バットを振るだけで全体力を使ってしまうはずはないはずだが……。
「帰ってきた後、朝方までギャルゲーをやるから……」
「兄さん? 私にセーブして寝ろと? そんなの邪道です!! 美少女ゲームは一つのストーリー通してやることに意義があるのです!」
「そうなのか……」
「しかし、徹夜でゲームは少し疲れます……」
ひもじい顔をしてお腹を抑えながら、
「あ〜、甘いケーキが食べたい……」
「今朝も甘すぎのパンも食べたよな!? あのジャムのタワーが出来ているパンを二枚も!!」
「朝ご飯と間食は別腹ですよ……」
「……太るぞ?」
僕がそう言うと、双葉は死に掛かっている目で僕のほうをギロリと睨む。
「太りませんっ! ……って、力が出ないよ……。兄さん、肩貸して下さい」
「ったく、仕方ないな……」
双葉の側へ寄り、僕は肩を貸した。
双葉は僕の首に手を組んで、おんぶ状態になった。
そして、僕の顔にすりすりしてきた。
「背中から見たら、兄さんは母さんによく似てる……。ふふっ、顔もそっくりだよ……」
僕は何も言えなかった。母の事は一切思い出せないからだ。
その事に双葉は勘付いたか、申し訳なそうな顔をしている。
「いいんだよ、双葉。代償のことは仕方ないと思っている」
「でも……やっぱり……」
「今は今、昔は昔。過去のことを悔やんでいたら、永遠に考え込んでしまうぞ?」
双葉は「うん……」と呟きながら、顔を僕の肩に置いた。
双葉を抱っこしながら、どこかへ行くこの光景は昔の自分にそっくりだった。
そう……記憶を失って間もない頃の自分に……。
「懐かしくないか? 抱っこしながら歩いていくのって」
「いつの話をしてるんですか……。七年ぐらい前の話ですよね……。小学校の時ですから」
「あの時は、本当に自分がいる事が分からなかった。双葉が誰かも分からなかった」
「そうですね……。あの時は弱りきった私が存在する理由が分からなかった」
「そして、拒絶した時もあった」
「そう……自殺しようとした時もありました」
「その時からかな……妹を護ろうとしようとしたきっかけは」
「そして、死のうとした瞬間に現れたのは他でもない。兄さんでした」
僕たちは何かおかしくて、一緒に笑った。
「妹がいるから、護るべき自分がいる。その時そう思ったんだよな……僕は」
「兄さんがいるから、私は今生きている。いくら苦しくても……兄さんが護っていてくれている……。だから私は……生きていける」
双葉の声が掠れてきた。泣くのを我慢しているようだが、双葉の瞳からは涙が少しずつ零れているのがわかる。
僕の肩に雫を落ちたからだ。
「兄さん、私の払った代償……今でも憶えていますか? 最近は出ていないようですが……」
「ああ、今でも憶えているさ。だから、僕はここにいるんじゃないか」
双葉の代償は……心の強さ。
双葉はもともと病弱で、いつも外の風景をベットの上から見ていた。
昔からこの調子だったから、当然精神的にも弱かった。
そのうえ、さらに心が弱くなってしまった双葉は、自分が失敗した少しの事でもかなり後悔し、自分を傷つけてまで責めてしまい……ついには自殺をしようと手首を切ろうとしたこともあった。
そう、だから僕はここにいる。双葉がそんなことにならないように、僕が護ってやらなければいけないんだ。
辛いことや苦しいことが起きて自分を責めようとしても、全て僕が受け止めなければいけない。それが兄としての当然の行いだ。
「やっぱり兄さん……優しいですね……。だから私は……兄さんが……」
「……双葉? ……って何だ、寝てしまったのか」
すーすーと、双葉の寝息が聞こえる。安心して寝てしまったんだろう。
何しろ、任務で帰ってきて、寝れたのが夜の一時。双葉が起きたのが多分三時だから、身体に疲れがまだたまっているはずだ。
学校に着くまで、寝かせておいてやろう。僕はそう思い、飛行魔術を唱え空に駆け出した。
澄み切った空に飛ぶと、気持ち良い。
風は冷たいが僕たちを包み込んでくれている。
だけどこの風は、何か伝えようとしているように感じた。
何か……運命からは逃れられないようなことを……。
前に先に飛んでいった楓が見えた。
楓の隣に行くと、楓は驚いているような無いような表情で僕の顔を見た。
「葉先輩〜? 追いつくの……速いですね〜。重力加速度以上だなんて〜」
「伊達に“
「時間を操るって……卑怯ですね〜。飛んでいることから……フライドチキンですか〜?」
「寝言を言っているとは言え、ちょっと度が過ぎるんじゃないか? 楓」
「フライドチキン……。何だか美味しそうです〜」
「ダメだな……これは」
楓は「何がですか〜?」と答えたが、言っても無駄なのでとりあえず僕は無視をした。
その後、唇に人差し指を当て「う〜?」と唸りながら楓は考えていた。
すると突然ひらめいたか、楓は手を叩きポンっと音を立て、起こっているような顔つきで僕を見た。
「先輩〜? もしかして、私のこと〜馬鹿だと思ってませんか〜?」
「ああ。今のお前は馬鹿としか言えないな」
「わわっ、酷いですよー。イジワルですよ〜」
「そうですよね。兄さんってイジワルですよね」
いつの間にか起きていた双葉が冷たい顔でこちらを見る。
「兄さんは私の気持ちを分かっているくせに、じらすのですよ」
はあ、とため息をつきながら双葉は言った。
「でも、ふーちゃん。今日は兄さんがショッピングで私達の好きな物を何でも買ってあげるって言っていたから、今日は楽しみましょうね」
「双葉……僕はそんな事、一言も言ってない」
「でも兄さん、今朝、私に好きなものを買ってあげるって、言いましたよね?」
「……包丁のことだろ?」
「ケーキもです」
「何で?」
僕は自分の言ったことを思い出す。
『双葉に好きなものを買ってあげる』これは確かに言った。
そして、『ケーキ』と言って、それは間違いであって本当は『包丁』だった。
あんなの卑怯だけど……。
「ケーキは入ってないよ」
「兄さん、もっとよく考えてください」
もっとよく考える?
『買ってあげる』と言って、僕は『ケーキ』と答え、実は『包丁』だった。
ん?『ケーキ』?他の意味で考えてみよう……。
双葉は『包丁を買って欲しい』と言っている。
僕はケーキを……。
その瞬間、僕はとんでもないことに気が付いた。
そう、それは自分が言った言葉を後悔するようなことを。
「まさか……」
「そう、そのまさかです♪ 兄さん自身が私に『ケーキを買ってあげる』って言っているよね〜♪」
双葉は子悪魔のように微笑んでいる。
僕は双葉の手の中で踊っていたにしか過ぎないのだ。
「後のことを考えてないと、後で大変なことになるよ? 如何なる時も冷静に戦略を立てる。これ、滄浪の水清ませば以って我が纓を洗うべし……かな♪」
「それは何事にも時勢の成り行きに任せて良いことであって、如何なる場合であっても冷静に行動するという意味ではない」
「……そんな難しいところにツッコミを入れるのは兄さんぐらいだよ……」
「だけど、仕方ないよな……」
僕は仕方なく可愛い妹に免じて許してやろうと思った。
けどその時に、何かに気が付いた。
大切な何かに。
もしも、僕がケーキと答えてなかったら……包丁と答えたら一体どうなっていたのだろうか?
『たしかに包丁も欲しいけど、3択肢だから不正解♪』と双葉は答えるだろう。
他の2つを選んでいたとしたら……?
つまり、僕が何を選んだとしても不正解で、双葉の一石二鳥となってしまうのである。
その疑問を僕は双葉に問い詰めた。
「双葉……? まさかこれって、僕が何を選んでも包丁と何かを買わされる。ということじゃないか?」
「え……まさか〜。私でもそんな酷いことしないよ〜」
図星だ。顔で分かる。顔がこっちに向いてない。そっぽを向いている。
表面では笑っているが、内面ではバレたかと思っているのだろう。
「本当のことだな……。顔で分かる」
「ふにぃ〜〜〜〜〜〜〜」
「そんな声を出しても許してあげないからな」
「お兄ちゃんのイジワル!!」
「その手は二度と通じんな……」
僕がそう言うと、その瞬間に双葉は涙目になった。
……なんて演技派な妹。
演劇部があったなら主役間違い無しの演技力だ。
この演技に何度騙されたことか……。
そう思い、笑いながらポケットの中を探る。
「泣くな泣くな。ほらハンカチ」
差し出したハンカチを双葉は取ろうとした時に思いっきり僕の手をつねった。
相当拗ねているな……。
「分かった分かった。今日はお前のワガママに付き合ってやろう。楓も来るんだよな」
「良いの? 兄さん!?」
「ああ。だけど、高価の物は買えないけどな」
「ありがとー♪ 兄さん♪」
そう言うと、双葉は僕の胸の中に飛び込んできた。
「ちょっ……人前で抱きついてくるのは止めろ」
僕は双葉の頭を押して、無理やり退かせた。
しかし、双葉は勿体無そうな、不満のある顔で僕の顔をじっと見つめた。
「……はぁ……。もう少しだけ、抱きついていたかったな……」
何か双葉がボソッと呟いたが、僕には聞き取れていなかった。いや、双葉がわざと声を小さくしていたのだ。
多分これは聞き取って欲しいという合図なのだろう。
だけど、僕は聞き取れなかった。
どうしたら良い?
また僕は、双葉が苦しんでいる姿を見てしまうのか?
そう考えているうちにも、双葉の顔がだんだん切なそうになってくる。
そう、小さな胸に何かを抱えているように。
「……バカ……」
「……ん? 何だ?」
僕はなんて馬鹿なんだろう。
こんな言葉しか、かけられないなんて……。
「……兄さんの……バカー!! バカ、バカ、バカ!! 大バカ者ーー!!」
双葉は泣いていた。
演技ではなく……本当の涙を……。
僕はまた……双葉の泣き顔を見てしまった……。
嬉しい時の涙でもない……、感動の時の涙でもない……、そうこれは、
自分が傷付いた時の、哀しい涙なんだ……。
「兄さんなんか……、兄さんなんか……、死んじゃえば良いんだ!!」
双葉の瞳が狂乱し、沢山の涙と共に叫んだ。
その瞬間、双葉の右の手に大きな鎌が具現化し、それを僕に向けて大きく振りかざす。
双葉の武器――魂をも狩ると言われる大鎌、霊樹鎌グランディ・フローラが僕の視線に大きく映った。
―グシャァ………―
一瞬何が起きたのか分からなかった。
ただ、目の前が赤く染まるだけ……。
これは……僕の血?
よく見ると、双葉の大鎌、霊樹鎌グランディ・フローラが僕の胸を真っ二つに裂けるように、胸の奥深くまで貫通していた。
事前にかけていたプロテクトを破壊してまで……。
「まさかな……双葉の力が……これほどまで……強くなって……いたなんて……予想外だったな……」
僕は胸を抑えながら地面に倒れこむ。
もはや、息なんて出来ない状態。
意識さえも、失うか失わないかの境目だった。
「に……兄さん? ……私……私また……兄さんを……傷つけて……しまった? ……私が……兄さんを……この手で……? 私は……一体……どうして!? ……私は……とんでもない事を……。いくら……我を失っていたからって……これだけは……ダメだと……ずっと……思い続けていたのに! ……私は!」
双葉はそう言うと、学校の方へと駆けて行った。
今の双葉は、とても危険な状態なのに……身体が起き上がれない。
(立てよ……! 立てよ自分!!
ここで立たないと、双葉と一生会えなくなるかも知れないのに!!)
そう思っても、起き上がれない自分が悔しかった。
起き上がれないどころか、だんだん意識を失っていく感じが分かる。
……目の前が白くなっていく……。
――隣で、泣きながら僕を呼んでいるのは誰だろう?
……楓……?
いや、違う……。
楓じゃない……。
何だか、懐かしい感じがする……。
そう、昔から知っている人……。
雪のように、手は冷たいけど……、
心は春のように温かい女の子……。
やっぱり……、
この子が……