KEY-15 空の身体
Data//2002.7.14(Sun)

「どうしたの?」
 少女がそう言った。
「別に……」
 どうして、こいつの世話をしないといけないんだ?
 俺はそんなに暇じゃないぞ。
「……ごほっ、ごほっ」
「っ! 大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……」
 ……嘘をついている。
 俺にはすぐ分かった。
 だって、敬語を使っているからだ。
 正直者だから、こいつは。
「ほら、吸入器だ」
親から預けられた、吸入器を少女に渡す。
少女はそれを手にとって、喉へと吸入器をかける。
「……ありがとう」
 少女は嬉しそうに言った。
 そんなことを言われ、俺は照れくさくなる。
「……私、喘息だから……みんなに迷惑掛かるよね」
「そんなことないぞ」
 だって、俺は……。
 心から心配しているから。
「お前は素直で、可愛いからだ」
「え?」
「ったく、本当にじゃじゃ馬だぜ」
「うん……」
 少女は嬉しそうだった。
 俺も嬉しくなる。
 少女は俺の支えだからだ。
 だって、
 俺の大切な――

―ザ、ザザ……

 あれ……?
 とても、懐かしい時の……夢……
 を見ていた気がする。

「はっ!!」
 目を覚ます。
 目に映ってた光景。
 ここは俺の部屋。
 ベットから飛び上がる。
 そうだ、空は!?
 たしか、掃除をしていて……、
 アルバムを見た瞬間、一緒に倒れたはずだ。
 その後どうなった!?
 慌てて、空の部屋へと行く。
 ドアを開けるとそこには……
「また逢いましたね。天野翔」
 時羽がいた。
 何も言わぬ顔で。
 後ろのベットには空が寝ていた。
「空は……大丈夫なのか!?」
「落ち着いてください。急いでは、何も見えませんよ」
 すっと、お茶を差し出された。
「……そうだったな」
 お茶を受け取る。
 器が熱い。
「熱い……」
「熱いお茶を飲めば、冷静さを取り戻しますよ」
 言われるがままに、お茶を飲む。
 無茶苦茶熱い。
 今は夏なのに……。
「冷静になりましたか?」
「……ああ」
 なんとなくだけど。
 心が落ち着いた気がする。
「それで……空は……?」
 空は寝ていた。
 辛そうに息をしながら。
 見ている俺も辛くなってきた。
 共感……とでもいうのか。
「時間が……予定外になってしまいましたね」
「時間?」
「本来なら、一ヶ月間の猶予があったのですが……」
「猶予?」
 時羽は躊躇いながら喋っている。
 本当に話して良い事なのか……と。
 その躊躇いは、俺にとったら遠回しに聞こえて仕様がない。
 まるで、あと俺の余命は何日ですよ……と。
「貴方に残された時間は……後三日しかありません」
「そうか……後三日か……」
「あら? 驚きませんね……。知っていたのですか?」
「いや……勘付いていただけだ」
「そうですか……」
 時羽はそう呟き、空の方へと向く。
 とても悲しそうな瞳で見つめていた。
 私のせいで空はああなってしまったのだと、責任を感じているのだろう。
 そして相変わらず、体調に変化がない空。
 悪化するよりマシだが、治ってほしいという思いが募る。
 この思い……神には届かないだろう。
 このストーリーを創っているのが、神自体なのだからだ。
「くそっ……」
 俺にもっと神に抗えれるほどの力があれば……、こんな運命など。
 この世界の運命の鎖を解き放ってやれるのに。
 俺に力は……無いのか?
「天野君……少し、話をしても良いですか?」
 空を撫でながら、時羽は言った。
「……何だ?」
「空についてです……」
 空についてか……。
 前にもそんなことを言っていたな。
 体力が無いのに、空元気をする少女だと。
 時羽はそう言っていた。
「空は……何故体力が無いのか、分かりますか?」
「それは……俺に力を注いでいるからだろ?」
 鍵天使は“定めの書”を持つことにより、その対象者に大量の力を注ぎ込んでしまう。
 その結果、鍵天使の身体に負担を掛けてしまう。
 初めて会った時は、何も言わなかった空。
 時羽から聞かされた時は、正直言って驚いた。
 そして後悔もした。
 俺は空にどれほど迷惑をかけているのだろうと。
 思ってしまった。
 だから、俺は早い決断をしなくてはならない。
 しかし、
 これ以上な事が起きるのだろうか?
 まだ、空に秘密が隠されているのだろうか。
 時羽の口からはまだ言っていない。
 体力がない理由を。
 さっきから黙ったままだ。
 それはとても言いにくそうな事なのか。
 知らない俺には分からない。
「教えてくれ……時羽。まだ空に……何かあるのか」
「……後悔しますよ?」
「それを承知で、時羽は言ったんだろう? 言わなくても良い事なら言ってないだろ?」
「ふぅ……。貴方には敵いませんね」
 何処から出したのか、時羽はお茶を飲みながら一呼吸する。
「良く聞いて下さい。空の身体は……」
 時間が止まる。
 静まりかえった空間。
 何かを拒絶しているかのように。
 何かを否定するかのように。
 俺にものすごい力が圧し掛かった。
 そして、時羽の口が動く。
「……喘息です」
「え……?」
 時羽が言ったその四文字の言葉は異様に聞こえた。
 確かに時羽はそう言った。
 空は喘息なのだと。
 そして、何かの違和感。
 この喘息のキーワードに対する妙な感覚。
 一体何だ?
「喘息というのは……知っていますか?」
「ああ。知っている。喘息になると、呼吸が上手く出来なくなる症状だ」
 俺は次々と喘息について知っていることを時羽に喋った。
 喘息は熱が急に上がったりする。
 呼吸が上手く出来なくて、苦しいし、
 絶対安静だけど、寝ようにも寝れない状態。
 吸入器を使えば、少しは楽になれる。
 そして、一番厄介のは、いつ発作が起きるか分からない病気であること。
 たとえ落ち着いていても、何かの拍子で発作を起こしてしまう事がある。
 雨で身体が濡れてしまった時が一番大変だ。
 誰もいないときに気を失ってしまうと、一大事になってしまう。
 最悪の結果、死に至ってしまう。
 喘息はそんな病気なのだと、時羽に言った。
「詳しいですね……。天野君は、喘息じゃないのでしょう?」
「ああ、俺は喘息じゃないな。喘息だったのは……」
 あれ?
 喘息だったのは、誰だったっけ?
 ……確か、あれは……。
 佳織……だったか?
 俺がまだ幼い時、と言っても小学校の頃だったろうか。
 確かに、俺の近くに喘息の少女が居た。
 それが誰だったか憶えていない。
 記憶が曖昧な状態。
 不確かな記憶は、俺の思い出の中を交差する。
 あれはああだったとか。
 それはああだったとか。
 どうでも良いことは憶えていて、
 重要なところを憶えていない。
 まるで、ジグソーパズルで最後に埋めるピースを失っているかのように。
「ごほっ、ごほっ」
 後ろから聞こえた。
 空が咳をしている。
 まさか……。
「空、大丈夫か?」
 空は目を覚ました。
 その瞳は、虚ろ。
 何処を集点としているか分からない。
 瞳だけがきょろきょろ動く。
「かけるくん……? それに……望様?」
 その声はとても弱々しかった。
 今にも、空の声が消えそうで……。
 恐かった。
「私……また……迷惑を掛けて……」
「迷惑なんて掛けていませんよ。私は好きで看病しているのですから」
 優しく空の頭を撫でながら、時羽は言う。
 撫でられている空は、気持ち良さそうに瞳を閉じる。
「――せめて、少しだけでも……楽になるよう……」
 何かを呟きながら、時羽は宙に円を描く。
 すると、この部屋は何か優しい感じで包まれた。
 暖かい……と言えばいいのか。
 だんだんと眠たくなってきた。
「――今日はもう眠りなさい……。この優しい空間で……」
―バサッ!
 翼を広げる音。
「この二人に……幸せの夢を」