KEY-13 零れる涙
Data//2002.7.11(Wed)
「―――なんてなかったのに……」
ん……。
誰かの声がする。
「ひどい熱……」
―ぴちゃ……
水が落ちる音がする。
……。
冷たい。
……誰かが俺の看病をしてくれているのか?
「う……」
眩しい。
目を開けると、白い光が映った。
ライトか……。
横を見る。
見覚えのあるカーテン。見覚えのある机。
ここは……俺の部屋?
反対側に振り向く。
そこにはタオルを持った空が床に座っていた。
「あ、起きた? にいさ……じゃなかった。翔くん」
兄さんと言おうとしたが、言い直す空。
「ああ。何だか、腹が減ったな」
「……呆れた。ほんと、翔くんらしいね」
はぁ、と空はため息をつく。
呆れたような顔をしているが、その反面、安心しているようにも見えた。
しかし束の間、
空の瞳からは涙が溢れてきていた。
「私……、本当に心配したんだから……」
「……すまない」
「ゴメンと言えれば、まだマシなんだよっ!?」
空は泣き叫ぶ。
だれほど心配したかって、俺に訴えるように。
「だって……“運命の子”は、何が起こるか分からないから……、分からないからっ!!」
「……空」
空が言った「分からないから」のその言葉……。
“死んじゃうかも知れないんだよ?”
空はそう言いたいのだろう。
「私……恐いもん。翔くんが……もしもの事があったら……」
俺だって恐い。俺が俺じゃないと知った時は。俺の運命は決められていないって言われた時は。本当、恐かった。あの時の俺は、自分を誤魔化していたんだ。未来が分かれば、何も恐くないのに。
だからと言って、未来が分かれば恐くないということはない。
『死ぬ』
そんな未来を告げられたら、より現実から逃げ出したいだろう。
分からない方が……良いに決まっている。
知らない方が良かったかもしれない。
この世界の偽りを。
この世界の真実を。
俺が……“運命の子”だという事を。
「私を……やっと知ってくれた。認めてくれた。私を孤独という檻の中から出してくれたのは、翔くんただ一人だけなんだよっ!!」
「……佳織も、時羽も居るじゃないか。それに、俺のクラスの馬鹿共も」
「それは違う! 翔くんが居なかったら、私はいつまでも独りだった! 辛かった! 寂しかった! 死にたいとか思ったりした!!」
ダムが崩壊して一気に水が流れてくるように、空の心の奥に溜め込んでいた感情が一気に放出した。心の涙として。
『寂しかった』
『辛かった』
『死にたかった』
その感情は、俺の心を苦しくする。その辛さが俺にも伝わってくるかのように。
空の強い想いに共感したんだろう……。
「私は……もう……独りは嫌なんだよぉ……」
一向に止まらぬ涙。
「ひ……独りぼっちは……っ、嫌なんだよ……っ」
「空……」
俺は空を抱き、頭を撫でてやった。
「ぁ……」
その小さな身体は今にも壊れそうなのに、
その小さな身体で強い身振りを見せて、
本当は辛いのに、
本当は苦しいのに、
今やっと、『痛み』だった感情を空は解き放った。
全てを言った。
やっと心を開いてくれた。
後は、俺の出番だ。
「前にも言っただろ? 俺が側に居てあげるって」
空を救えるのは、今は俺しかいない。
その優しい言葉で、声を掛けてやる。
水は枯れ、渇ききった湖に恵みの雨を降らすかのように。
俺の言葉を、空の心に伝える。
空は孤独じゃないことを。
「ぁ……ぁ……」
空をぎゅっと強く抱きしめた。
俺から離れないように。
孤独じゃないことを分からせるように。
その小さな身体を、
ぎゅっと。
「兄さん……」
空から言葉が漏れる。
とても小さな声で。
「……兄さん……っ、兄さん……!!」
俺の胸の中で泣きじゃくった。
心の奥に閉まっていた、
その悲しみを。
その苦しみを。
全てを身体の外へ出した。
空は……涙が枯れるぐらいまで泣いた。
「すー……すー……」
空は泣き疲れたのか、
可愛い寝息をしながら、
すーすーと寝ていた。
幸せな夢でも見ているのだろうか、
その顔は笑っていた。
優しい笑顔で。
だけど
「これじゃあ、空を部屋に連れて行くのは無理だな」
空は俺から離れないように、ぎゅっと抱きついている。
もちろん、強引に退けようという意思もない。
「なんだかなぁ……」
一応、俺は健全な男の子でありまして、
この十七年間、女の子に抱かれたことなんて一回もなくて、
この状態にとてもドキドキしていて、
ああ! 俺ってなんて幸せな時間を過ごしているんだろう!
と思っていたりして、
本当のところは、かなり疲れている。
この状態はキツイ。
何しろ、この状況は初体験だからだ!
何?
女の子と一緒に寝ているだと!?
しかも幼い頃ならわかるが、
思春期まっしぐらのこの俺の年で!?
マジでっ!?
「落ち着けっ! 俺っ!!」
深呼吸だ深呼吸。
すー……はー……。
良し。危ないところだった。
俺としたことが、冷静さを失ってしまっていたなんて。
そうだ、
空を妹キャラとして見よう。
そして俺が偉大なる兄貴としよう。
それで、このシュチエーションは。
「ある意味危ないじゃないかっ!!」
ナイス、俺のノリツッコミ。
「……ん〜、うるさいよぉ……兄さん……」
も、もしかして空が起きた?
俺は様子を見た。
「罰として……ホットミルクだからね……?」
寝言?
「……すー……」
寝言だな。
「まったく……」
平和な奴だ。
呆れて物が言えないな。
しかし……
「兄さん……か……」
果たして、それで良いのだろうか?
空の兄貴は俺じゃない。
実際に生きている。
だけど、空がいたという記憶はない。
けれど、いつまでも俺が偽った兄貴として過ごしても……。
空はそれで良いのか?
現実から逃げていて良いのか?
本当は……本当の兄貴と一緒に居たいと思っているはずだ。
俺は……空の兄貴じゃないから……。
……。
馬鹿だな、俺って。
空を護ろうと約束したのにな。
独りにさせないって、俺から言っていたのにな。
「……今日はもう、寝よう。そして、後から考えよう」
それが……一番だろう。
考えすぎて、疲れた。
顔を横に向ける。
幸せそうな空の寝顔。
それは俺の疲れが吹き飛びそうなぐらい。
「ふぅ……」
……きっと、いい夢を見れそうだ。
きっと。
――現実を受け止めて――
――夢に逃げちゃダメ――
――逃げれば逃げるほど、最悪の結末となる――
――この輪廻の物語は――
――真実を知らないと、終わらない物語――
――少女は月の上で謳い奏でる――
――孤独の狂想曲を――
――それは自分に気付いて欲しいために――
――貴方と生きていきたいために――
―ザ、ザザ……。
世界が歪む。
視界が歪む。
時間が歪む。
この記憶はいつだったものか。
覚えていない。
この記憶。
思い出を。
「泣かなくて……良いよ。私も……泣かないから」
少女がそう言った。
無理な顔をして言っているのはすぐに分かった。
何故、苦しいのにそんな事言うんだろう?
「どうして、そんな空元気をするんだ?」
「だって……これ以上みんなに迷惑掛けたくないよ……」
それが少女の気持ちだった。
自分が弱いから……。
強くならないと。
って。
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