詩を奏でる月の上。
空はいつもの笑顔を俺に見せてくれている。
だけど、この笑顔は表の顔。
空が空元気している事はみえみえだ。
裏の顔は……泣いているんだと思う。
そう……空の過去に何かがあったことは間違いない。
だけど、それは俺が知っても良い事なのか?
俺に知る権利なんてあるのか?
そう考えると、余計に頭が痛くなる。
空は伝えたい。
けど、俺は他人だ。
俺は空の家族じゃないし、昔から親友でもない。
昨日会ったばかりなのに……。
どうして、俺なんかに伝えるんだろう。
俺なんかに……。
「これから、昔話をするね」
空は瞳を閉じて言った。
「この話は本当に在った話。とてもとても哀しい物語」
その声は、今にも消えてしまうくらい小さな声だった。
「これは私の誕生日――七夕の日に起きた出来事。それは小さな欠片からの始まり」
七夕の日……か。
親父達が事故で亡くなった日と同じ。
「その小さな欠片とは――私のわがまま。私がわがままさえ言わなかったら、哀しいことなんてなんて起こらなかった」
空の瞳から涙が零れる。
一つ、また一つと。
哀しみの雫がウタカナの世界を支配していく。
「私には、母、父、兄が居ました。兄さんは優しくて、いつも私を護ってくれた兄さんでした」
『でした』。その過去形の意味はやはり……
「そして、憧れでもあった。……けど、それは突然起きた。――みんな、私のことを忘れてしまったんです」
空のことを忘れた?
どういうことだ?
「みんなが私を忘れてしまったことは私が言ったわがままのせい。私が突然、鍵天使になると言い出したから」
「まさか……なるためには条件付きがいるのか?」
「うん……。鍵天使になるために神は私に試練を与えた。――みんなから私の存在が消える試練を」
みんなから……空の存在が消える?
という事は……みんなから空との記憶、思い出が消えるというのか?
あまりにも残酷すぎる。
「それ以来、家族のみんなは私のことを娘、妹と認知出来なくなった。――そう、もうみんなとは赤の他人になってしまった。大好きだった兄さんもね……」
空の涙は一向に止まらない。
涙を拭いても拭いても溢れ出す。
空は心の底から泣いていた。
あまりにも酷すぎる現実を逃げるかのように。
だからこんなにも泣き崩れているんだ。
「だから……みんな、私のことを忘れてしまった……。もう私の側に誰も居ない。母も父も……大好きだった兄さんも……。何で私のことを忘れてたの……? たとえ、記憶の中から私のことが消えても、いつか思い出してやるって言ってたのに……。どうして!?」
空の悲哀の叫びがウタカナの世界に響いた。
その叫びがこの世界全体に共鳴して、叫びが大きな木霊へと変化した。
その叫びは俺の心の中にも響く。この世界が、悲哀と化しているのだ。
そのせいか俺まで哀しくなってきた。
何でだろう……? 何でなんだろう……?
哀しくて涙が止まらない。
「どうして……忘れてしまったんだろうね、翔くん。私が……いけないんだよね。だってこれは私が蒔いた種。私の責任だから? 私がわがまま言ったからだよね?」
空は「はぁ……」と吐息。
「……もう嫌だよ。こんな運命。こんな物語。いっそのこと私を記憶消滅させれば良かったのに。そうすれば、家族のみんなは私を忘れなかった。私は忘れても、みんなが居た。みんなが私を護ってくれていたかもしれない。――だけど、私は孤独。――独りぼっち。私の側には――誰も居ない」
俺は空の言葉が掠れていることにはっと気付き空の顔を覗いた。
空の瞳から光が無くなっていた。まるで心を持たない人形のような瞳。
瞳から、光が消えているということは……心が失いかかっている!?
もしそうだったら、このままでは空が……!!
「―――だったら、私が消えてしまえばいい。―――そうすれば、楽になれ――」
「空っ!!」
俺は叫んだ。
「空! 空!! 戻ってくるんだ、そらあっ!!!」
俺は叫び、叫び続けた。
空を闇の中から連れ戻すために。
俺は心の底から叫んだ!
「――に、いさん?」
虚ろな瞳が俺の顔を覗く。
「過去に縛られるな!! 今を見ろ!!」
はっ、と空は自分がしていたことに気付く。
「また……私は……」
空は胸を両手で抑え、顔を下ろした。
自分の心の弱さが胸を締め付けているのだろう。
胸が苦しくて苦しくて、仕方が無い。
自分はどうしてこんなに弱いのかな、と。
「良く周りを見てみろ!! 俺が居るじゃないか!!」
「え……?」
「空は孤独じゃない。俺が側に居るから!」
「……」
沈黙。
空は何を思っているのだろうか。
だが、何が何でも俺はこのことを伝える。
「空の兄貴にはなれないけど、兄貴代わりにはなれるはずだ!!」
と。
空はよほど嬉しかったのか、瞳から一雫の涙が零れ、笑顔を取り戻す。
「……うん」
その言葉は、俺も嬉しかった。
まるで、俺のことを認めてくれた。
俺のことを絶対に信頼できる人だと。
「だから空、明るく前向きに生きろ。それが一番良い」
「ありがとう……。でも……」
「でも……?」
「翔くんって、ロリコンだけじゃなくシスコンも属性があったなんて……知らなかった」
空が真剣な眼差しで言う。
いや、そんなに真剣に言われても……。
って言うか、俺は
「俺はそんな属性持ってない!!」
しかしそれは誰からそんな言葉教わったんだ?
「あはは、冗談だよー♪」
「そうか? 冗談には見えなかったんだが」
だけど良かった。
空がいつもの笑顔を見せてくれた。
元に戻ったんだ。
その元に戻った空は、俺の顔を覗いた。
すると、何故か空は顔が赤くなった。
「やっぱり、翔くんは兄さんに似ている。優しくて、妹思いで、いつも私の側にいてくれていた私の大好きな兄さん。時には厳しく、私が闇の中を彷徨っている時にはそこから出してくれた。そう、さっきまでの私を救ってくれた翔くんと同じ」
空は俺とその兄貴を合わせながら言っているのだろう。
嬉しい思いと哀しい思いが、渦となって渦巻いている。
そう、その殆どが哀しみの渦。
空の哀しい過去の記憶が、このウタカナの世界を奏でている。
哀しい過去も詩。
その詩は哀しい音色となって奏でている。
『妹で居させて下さい』
今やっとその意味が分かった。
それは俺が空の兄貴にあまりにも似すぎたから。
それは空が兄貴のことを忘れずに想っていた証拠でもある。
だから……この一ヶ月間、空の兄貴として俺は接していきたい。
だってこんなにも空は苦しんでいる。
その苦しみを開放させれるのは俺しか居ないのだ。
だったらその役目、最後まで果さないといけない。
それに、
《俺のポリシィー第十四条》
【俺にしか出来ないことは俺が最後までやり通す(女の子の頼みしか受け付けないとする)】
だな。
この事は決定済み。
隊長、俺やってみせます!!
うむ、重要な任務お前に任せたぞ。
了解しました!!
って、素晴らしいな俺!!
「えっと……この世界では、私が創造者ってこと忘れてない? ……さっきから思っている事が筒抜けなんだけど?」
「うはっ! 忘れてたぜ!!」
「……ま、良いけど。それにそこまで想っていてくれるんなら……別に構わないよね」
空はうんうんと自分に了承しながら頷いている。
その仕草も可愛らしい。
何かを決心したのか、俺の方をじっと見つめる。
そして俺の方を向いては顔が赤くなり、目をそらす。
何だ?
「あ、あの……にいさ、じゃなかった。翔くん、恥ずかしいですから、目を瞑ってもらえますか?」
「お、おう……」
何だこのシュチエーション?
パターン的に考えると、この後にくるのは一つしか思い当たらないんですが。
取り合えず、俺は空の言う通り目を瞑った。
ドキドキ。
俺の胸の鼓動がはっきりと聞こえる。
鼓動の高鳴り。
まさかこれって恋!?
「む〜……聴こえること知ってて、わざとやっているのかな?」
「すみません。わざとです」
「ほら、目を瞑って。……恥ずかしいから」
照れて俯きながら、空は言う。
こんちくしょう!! 可愛すぎるじゃないか!!
そして俺の首に空の細い手が触れた。
そしてそのまま俺と空の唇が重なり合う瞬間!!
……。
……あれ?
何かおかしいよな。
唇が重なり合わない。
……空は躊躇っているんだろうか?
うん。そうに違いない。
……。
あの、首に何かされてるんですが。
何かを着けられているんですが?
「あ、目を開けないで。もうすぐだから」
「そうか……」
クルクル……。
俺の首に何かを巻いている。
このちびっこ……何か企んでいるのか?
「ちびっこ言うなー!! じゃない、思うなーー!!」
「へいへい……」
……。
気になる。
空が何をしているのか。
―カチャ
何!? さっきの効果音!?
「はい、完成。もう目を開けてもいいよ?」
「何だんだもう……って、何だこれは!?」
俺の首に着いている物。
それは鍵が付いた首輪。そう、犬に着けるような首輪と同じ。
「それはね、鍵天使と契約した証。“鍵の契り”と言われるものだよ」
「ちょっと待て! じゃあ、もう俺は契約したから“運命の子”じゃないのか!?」
「まってまって違うよ。“運命の子”は神と契約することで、消えるものであって、“鍵の契り”とは全く違うものだよ」
「じゃあ、これは一体何だ?」
俺は首輪を指差して言った。
「んーと、簡単に言うと力の制御だよ。“運命の子”は何かしら、特殊能力を持っているから」
「俺の能力? 何かあったっけ……」
「んー……私はそこまでは知らないよ。だけど、特殊能力を持っているせいで、自分を過信しすぎる。そのための首輪。ま、防止みたいな物だね」
「防止ね……。だけど俺はこんな物着けなくても、自分を過信し過ぎた事無いし、いらないや」
そして俺は首輪を外そうとする。
だけど、その首輪は一向に外れない。
鍵が付いているせいで首輪が取れないのだ。
「おい、この首輪の鍵は?」
「ん? これのこと?」
空は手から羽根の付いた鍵を生み出した。
空はその鍵をくるくると回している。
「その鍵を渡してくれ。首輪を除ける」
「ふふっ、はいどうぞ♪」
妙な笑みを浮かべて、空は俺に鍵を渡してくれた。
しかもあっさりと。
……何か怪しい。
取り合えず、疑問にしている事は置いといて、鍵を外すことにした。
しかし鍵穴を回しても、鍵は外れなかった。
「この鍵……偽物じゃないのか?」
「違うよ。だから、言ったでしょ? “鍵の契り”は鍵天使の契約って。と言う事は、私にしか鍵を外すことしかないってこと」
「マジか!?」
「うんマジ。だって天使ですから♪」
空の口癖が出るほどマジなことは無い。
ということは、俺は一生首輪を着けたまま生活しなくてはならないのか?
……。
案外、ニューファッションだからいけるかも。
「随分、前向きだね……」
空は苦笑しながら言う。
それはきっと俺の前向きな姿勢に呆れているのだろう。
それから、何時間経ったのだろう。
俺と空は昔の話をしていた。
空の信じがたい過去。
忘れられた空。
鍵天使の役目など。
俺の周りで起きた出来事。
平凡な日常。
そして七夕に起きた事故。
それらを話していた。
そして新たに分かったこと。
空の誕生日が七夕の日だという事。
これは偶然だろうか?
それとも、神が生み出した運命だというのか?
……何だかもどかしい気分だ。
七夕の日は何だか運命的な日な気がしてたまらない。
……もう、過去について考えるのは止そう。
俺は未来を見続けなくてはならない。
そう、未来を。
「さて、今夜も遅くなってきたね。もう帰ろっか?」
空は服をパンパン叩きながら言った。
そして俺の意見も聞かずに俺の腕を強引に掴む。
そうしてウタカナの世界から飛び出した。
夏の夜。涼しい風。空中散歩。
そして、ウタカナの世界。
この夜に起きたことは永遠に忘れないだろう。
そして、俺のすぐ側に居る、
この明るく元気でちょっとばかり無邪気で甘えん坊だけど、実は暗い過去を小さな背中に抱えている泣き虫な天使の少女、空の事も……。