第一部最終章〜時を越えた決闘〜
-遠い約束〜白銀の生誕祭〜-

王都は、混乱を極めていた。それもそうである。今まで水面下で争ってきた王国と帝国が、その争いを表に引き出したのだから。否、引き出したのは帝国か。
 いきなりの宣戦布告。何も知らない国民は戸惑う。なぜ、いきなり戦争になったのか。なぜ、こんなにも早く王都が狙われるのか。
 勘がいい者は、気付いているのかもしれない。これは、起こるべくして起こった戦争なのだと。
 王都を少し出た、広い草原地帯。今まさに、そこでは激戦が繰り広げられていた。
 帝国兵の主力である龍駆る者ドラゴン・ライダー。カッパードラゴンが吐き出す灼熱の火炎弾は、瞬く間に草原を焦土へと変貌させる。
 王国側の切り札である聖騎士団は、その主力を欠いた状態。そんな状態で、尚、王国は敵を誰一人として王都内へと侵入させてはいなかった。
 各地に散った聖騎士団。この場に留まるのは、二番隊と七番隊だけ。
 決して満足できないこの状況。明らかに、物量が違う。
 しかし、恐れる無かれ。帝国の主力と言えど、所詮は人の子。
 これより挑むのは、人の皮を被った鬼の子。一騎当千の、戦神である。
「王。そのような事を申されても、誰も聞いていないかと……」
「いいじゃん。少しは格好付けさせろ」
 爆炎と粉塵が支配する戦場で、俺は腰に手を当てて上空を見上げていた。
 憎いまでに晴れ渡った空。蒼穹と言うのは、この事を指すのだろう。
「ここは危険です、王。わがままはそれ程にして、早く王都へお帰りください」
 隣でひたすら俺の身を案じる執事。通称、じい。先々代の王、つまり俺の爺ちゃんの代から爺ちゃんの片腕として政治を執ってきた、俺のもう一人の爺ちゃんとも言える存在だ。
 爺ちゃんが死んで、親父が死んでから、何度助けられたか分からない。こんな俺に忠誠を誓ってくれる好々爺。今まで、じいの言うことには意見をしても、はっきりと逆らいはしなかった。
 何故か。それが、国にとって正しいからだ。じいが、国の事を本気で想っているからだ。
 しかし、今日。俺は、初めてじいに逆らう。
「じい。俺は、王だ」
「はい」
「今この時、わが国の兵たちは血を血で拭う争いをしている」
「そうで御座います」
 そう。俺の、妹もだ。まぁ、あいつに限ってそんな事は無いと思うが。
「そんな時、良き王は何をするべきだと思う?」
「は?」
 首を傾げ、そして徐々に信じられないといった顔をするじい。
「こんな時、玉座に座って戦争の状況をただ聞いているのが良き王だと、俺は思えない」
「ま、まさか」
「な〜に。クレアに及ばないでも、剣術には自信がある。こんな雑魚に遅れはとらねぇよ」
 腰から、刀を引き抜く。宣戦布告をされた日に、あの科学者であり鍛冶師でもあるアカネに鍛えてもらったものだ。何でも、アマツの魂を込めたと言うが。
「なんだかんだ言って、故郷のことは嫌いにはなれない、か」
 太陽光を受けて、白銀に輝く刀身。細身の刀は、触れるもの全てを切り裂く、そんな気を放っていた。
「……まったく」
 やれやれと、じいは諦めたかのように首を振る。
「日に日に、先々代と、先代に似ていきますな」
 じいは嬉しそうに口元を綻ばせ。
「じいは、待っておりますぞ。王の凱旋帰還を」
 俺は、前方を見据えたまま不敵に笑う。そして、高々と刀を突き上げた。
「聞け、王国の兵よ!! これより、俺もこの戦闘に参加する!! 各自、俺を守る為ではなく、大切な者を守る為に闘い抜け!!」
 草原に響く雄叫び。
「終わったら、皆で大宴会でもするぞぉっ!!」
 高まる士気。これより先は死地。守られる立場ではなく、守る立場となる場所。
 恐れは無い。周りには、頼もしい兵たちがいる。
 これほど、心強いことは無い!!
 上空より降下してくるカッパードラゴン。
 俺は吐き出される火球を避け、低空飛行ですれ違うドラゴンの腹を切り裂いた。
 鮮血を撒き散らしながら、錐揉み状に大地と激突するカッパードラゴン。
「さぁ、パーティーだ!!」
 一人、また一人と倒しながら、戦場を駆け抜ける。頭の隅で、妹と、友の無事を祈りながら……。
―――――――
 国境防衛ライン。  爆風と爆炎がその場を支配する、焦土の戦場。
 剣は未だ折れず、むしろその切れ味を増している。
 何回目になるだろう、引き金を引く。刀身に伝うは冷気の魔力。
「はああぁあぁっ!!」
 振り抜く刃は、リボルビング・クレイモア。
 冷気は刀身より大気へと放出され、氷の矢となりて敵を貫く。
「戦闘開始から五時間。中々、相手も終わりませんわね」
 隣で、ミオがヘヴィボウガンを乱射しながら呆れたように呟く。
「こっちも、ね」
 視線の先で巻き起こる爆発。
「バッカヤロー!! もっと向こうでやれ!!」
「ほう? チーム・アインスのランサーともあろうものが、これしきで音を上げると?」
「止めておけアレックス。後が怖い」
 前線から聞えてくる、この戦場に似つかわしくない賑やかな声。
「頼もしいですわね」
「本当に、ね」
 彼らがいるから、ボクは黒子に回ることが出来る。弾装を支援仕様に切り替え、皆をサポートすることが出来る。
「やっぱり、性分なんだよね、これ」
「援護が、です?」
「うん。こっちの方が、ボクには合ってるっ」
 真空刃を飛ばしながら、ボクは前線で暴れる彼らを温かい目で見つめた。
「変わりましたね、クレア」
 拡散弾を撃ちながら、呟くミオ。
「アブねーぞ、ミオ!!」
「あーら、ごめんなさいね。でも、貴方なら大丈夫でしょう? メルディ」
「まーな。って、その呼び方は止めろー!!」
 振るわれる鎌が、敵を次々と倒していく。
 ボクは、苦笑を浮かべてその光景を眺めていた。
「やっぱり、クロウさんの影響ですか?」
「う〜ん。どうだろうねぇ」
 曖昧に受け流し、前線を外れてこっちに向かってきている敵を火炎弾で倒す。
「昔のクレアは、ただ怖かっただけですもの」
 クスクスと笑いながら、引き金を引いていくミオ。
 変わった、か。確かに、そうかもしれない。あの人と会った、あの日から。
 戦場はさらに激しさを増していく。極力、死者は出さないようにしているが、これからはそうも言っていられなくなるだろう。
 だから。
「急いで、クロウ」
―――――――
 薄暗い森を駆け抜ける。早く、早くヴァイスたちと合流しないと。
 不意に感じる殺気。考えるよりも早く、身体が動く。
 弾ける木の根。あれは、見たことがある。ミオさんが使うのと同じ、弾痕。なら、相手はヘヴィボウガンを装備しているの!?
 クレスケレンスを構え、矢を番える。第二射は無い。少しだけ弛緩する緊張感。
 それが、いけなかった。
「へぇ。反射神経はいいんだ」
 声は、後ろから。慌てて振り返る先には、ヘヴィボウガンじゃない、それをより小型化した銃と呼ばれるものを構えた少女の姿が。
「はい、鬼ごっこはお終い」
 額に、汗が浮かぶ。いつの間に、こんなに接近を許した?
 答えは出ない。警戒はしていた。なら、何故。
「王国の人だよね」
「……それが、何?」
 弦を引き絞ったまま、私は答える。
「一つ、質問があるんだけどいい?」
「?」
 何だ、この少女は。まったく以って、真意が掴めない。
「王国に、暗殺部隊っている?」
「……暗殺、部隊?」
 何、それ。そんな部隊、聞いたことがない。
 仮にあったとしても、暗殺技術に乏しい王国にはあっても仕方の無い部隊だろう。
「……やっぱり、ね」
 銃を下ろし、やれやれと首を振る少女。
 何だ。何がなんだか、さっぱり分からない。
「この戦争、やっぱり裏がありそうだね」
 銃を収め、遠くを見つめる少女。
「まぁ、立ち話も何だし、座ろうか? もうすぐ来ると思うし」
「来るって、何が?」
 警戒を解かないまま、そう訊ねる。
「多分、その裏に気付いている人。あと、何もしないから武器を収めたら?」
 そう言われても、信用できない。
「物騒なんだけど」
 やれやれと、木の幹に背を預ける少女。
 やがて、少女が視線を向けていた場所から人影が現れた。
「や、レイア。遅かったね」
「レナ。お前、何をしているんだ?」
「何って、待ってたんだよ? レイアを」
 青い髪が、印象的だった。淡い色と言えばいいのか。薄暗い森の中でも、はっきりと見て取れる。
 無骨なガントレットにプレートグリーヴ。その姿は凛々しく、どこか戦乙女ヴァルキリーを思わせた。
 やがて、その背後から現れるよく知った人影。
 それを確認して、私は初めて警戒を解いた。
「あれ? 何してんだ、ミリア」
「何や何や。えらい別嬪さんやなぁ」
「……」
 言葉が出ない。ヴァイスと、リョウと、誰?
「……アンタこそ、何してんの?」
 少しだけ、顔が引き攣っていた。
「何って、何?」
「この人たちって、帝国の兵士じゃないの!?」
「そうや。ワイらは、帝国の近衛騎士団インペリアル・ナイツ。サインはやらんで?」
「いらないわよ!!」
 問題は、そこじゃない。
「何で、アンタが、その近衛騎士団インペリアル・ナイツとやらと、仲良くしてるの?」
 一言一言、噛んで含める様にヴァイスに聞く。答えは、あらかた予想できたけど。
「いやぁ、話してみたら結構気の合う奴でさぁ」
「せや。これが、国境を越えた友情ってやつなんやろうなぁ」
 あ、頭が痛い。何なの、こいつら。
「……状況を説明している暇は無い。知りたければ、移動中に聞け」
 リョウがいつもの声で、私に話しかけてくる。ああ、まともなのはリョウだけだわ。
「そうですよ。今は、一刻も早く帝都に向かわなければ」
「く、クロウ策士!?」
 まったく気が付かなかった。
「そうだな。それでは、行くぞ」
 レイアと呼ばれた少女が、先頭を歩き出す。続くヴァイスと帝国兵。その後ろをリョウとクロウさんが。
 傍から見れば、なんとも奇妙な光景だ。
「さぁ、急がないと。このままだと、王国も帝国もヤバそうだからね」
 そう言って私を急かす少女。
「あ、そうそう。私の名前は、レナ。レナ、ソウゲツ。よろしくねっ」
「私は、ミリア・フォン・アルトリア」
 とてもよろしくと言う気にはなれなかったが、それでも自己紹介はしておく。
「うん。それじゃあ、急ごう。多分、ここまでは黒幕の想定内だろうけどね」
 意味深な言葉を残して歩いていくレナ。黒幕の、想定内?
 気になった私は、気付けばレナにその事を聞いていた……。
―――――――
 血に濡れる刀身。握る刃はオラシオン・セイヴァーとセイヴ・ザ・キング。
 身体の、魔力の高ぶりは収まらない。いや、それどころか更に熱を帯びていた。
 解けることの無い術式は俺の身体を包み込み、木々を、森を震わせていた。
「残念だよ、悠。こんな形で終わるなんて」
 冷めた瞳で見下ろす先。湿った大地に横たわる、かつての親友の骸。
 流れる鮮血は大地に飲まれ、肌がどんどんと青白く変化していく。
 不思議と、何の感慨も湧いては来なかった。
『……功、聞えるか?』
 そんな時。頭に響くケイオスさんの声。
「ケイオス、さん?」
『ああ』
 念話、と言うやつだろう。相手の魔力と自分の魔力をシンクロさせ、一時的な意識の回路を作る高度な術式。
 これまでも、何度かケイオスさんとは念話で会話をしていた。その時は、近衛騎士団インペリアル・ナイツのメンバーが揃っているときだったが。
「何ですか?」
 自分でも驚くくらいに冷めた声。
『まぁ、そう構えるな』
 答えるケイオスさんの声には、何か楽しげなニュアンスが混じっていた。
『今すぐ、城に戻ってきてくれないか?』
「城に?」
 どういう事だ? 悠も倒した。対極の英雄の片割れを倒したのだ。このまま、王都に攻め込むんじゃないのか?  訳がわからず、黙る俺。ケイオスさんは、低い、真剣な声で言葉を紡ぎ始めた。
『反逆者が出た』
「反逆者?」
 どういう事だ?
『日蝕の森に侵入した四人の王国兵を、近衛騎士団インペリアル・ナイツが皇帝のいる謁見室まで誘導しているのだ』
「……何だって?」
 近衛騎士団インペリアル・ナイツが、敵を誘導? 一体、何が起こってるんだ。
『信じられないのは分かるが、事実だ。主犯格はレイア・ヴェルダンテ。敵は、七人に増えた』
 レイアが、敵を誘導している? そんな馬鹿な。
「何かの間違いじゃ……」
『間違いではない。現に、奴らは既に森を抜けている。これほど早く森を抜けるには、森に関しての深い知識が必要になる。思い出せ。初任務の時、誰の指示でこの森を抜けたのか』
 あの時は、レイアが道を指示して、馬を走らせて……。
 頭の中が混乱する。何がなんだか分からない。何で、何でレイアが? あの時、あの場所にいたレイアが何で?
『頼みの綱は、もうお前だけだ。頼む。皇帝の命を、守ってくれ』
「……レイアは、皇帝の命を?」
『ああ。狙っている』
 その瞬間。その言葉を聞いた瞬間。不安定だった精神は安定した。何かを、何か途方も無いものを失って。
 レイア。俺の、片思いの相手。彼女に認められる為に、今まで頑張ってきた。今まで見たことの無い、彼女の笑顔が見たかったから。
 でも、もういいや。
 あの場所に立って。事実を見て。それで尚、王国と組して皇帝の、レオの命を狙うのなら。
 制服のポケットから、トランスポーターを取り出す。
 何もかもがぐちゃぐちゃで、頭の中が真っ白で。
 魔力が爆発的に渦を巻く。転移する身体。辿り着く先は謁見室。待ち受ける敵は、レイア・ヴェルダンテ。
「……許さない」
 視界がぼやけていく。暗くなっていく。
「レイア・ヴェルダンテ。俺が、討つべき相手。もう、あいつは敵だ……」
 そして、俺は呟きと共に帝都へと舞い戻った。
 大切な何かを、失う為に……。
―――――――
 守りたいと願っていた。たとえそれが叶わぬ願いでも、ずっと思っていた。
 手を伸ばせば届く距離。でも、この手は決して届くことは無くて。
 触れる感触。聞える声。でも、それは決して感じることは無くて。
 二つの欠片。間には見えない壁。白い白い部屋の中。僕は僕を見続けて。
 僕も、僕に気付いていたけど。でも、僕は知らないフリをした。
 怖かったから。断片化した記憶で触れ合うことが、怖かったから。
 誰と? 僕と?
 ううん。きっと違う。怖かったのは、守りたいと願っていた人の温もり。
 知らないはずの、懐かしい温もり。
 僕は、僕であって僕じゃないから。
 ああ、泣いている。誰かが、泣いている。
 思い出すのは、昔のこと。彼女も、泣いていた。独りで。理解されず。
 期待と言う名の玉座に身を宿し、彼女も独り、心の奥底で泣き続けていた。
 守りたいと願っていた。たとえそれが叶わぬ願いでも、ずっと思っていた。
 でも、今は叶わない願いなんかじゃない。
 怖くなんて無いんだ。僕は、僕であって僕なんだから。
 手を伸ばせば届く距離。ああ、やっと届く。
 守りたい。全てをかけて。今度こそ、守りたいんだ。
 誰を? 僕を?
 ううん。きっと違う。守りたいのは、共に生きてきた親友。
 そして、僕を独りから守ってくれた人。
 泣いている。大声で。
 泣いている。心の奥底で。
 呼んでいる。声を枯らせて。
 呼んでいる。言葉も出さずに。
 行かなくちゃ。呼んでいる。なら、行かなくちゃ。
 ずっと願っていた、叶わぬ願い。
 今なら叶う。今なら届く。
 大丈夫。怖くなんか無い。
 待ってて。今から行くから。
 だから、泣かないで。
 今度は、僕が君を守る番だから。
―――――――
 帝都中央に位置する城。周りを湖で囲まれた、巨大な敷地。出入りする術は二つ。正面から大橋を渡って中に入るか、帝国兵の詰所であり宿舎である建造物からこれまた橋を渡って中に入るか。
 結論から言えば、私たちは詰所から橋を渡っていた。
「正面からでは、謁見の間まで距離がある。若干の時間差だが、早いことに越したことは無いだろう」
 そういうレイアの弁で、今私たちは正面から伸びる大橋より若干小さめの橋を渡っていた。
 揺れる水面。反射する日光が辺りを明るく照らしている。
 歩くこと数分。王国と帝国の混合チーム(即席)は無事、城の内部へと侵入した。驚くくらいの、スムーズさである。
 城の内部は、不気味と言っていいほど静かだった。まるで、この城の中で動いている存在は私たちだけなのかと思わんばかりに。
 赤絨毯の上を歩く。消される足音。それが余計に、不気味さを際立たせていた。
「おかしい」
 先頭を歩くレイアが呟く。
「ああ、せやな」
 頷くフィオ。
「何がだよ」
 訊ねるヴァイス。リョウは、こんな時でも無表情だった。
「いくら戦争中だといっても、城には衛兵がいるはずだ。なのに、その気配が無い」
「確かに。これは、少しおかしいですね」
 クロウさんも頷く。不気味なほど静まり返った城。いつの間にか、額には冷や汗が浮かんでいた。
 歩くこと数十分。辿り着いたのは、広いホール。眼前に広がるのは、遥か天に伸びた階段。
そこで、なぜか、嫌な予感がした。
「……冷たい、な」
「うん。これは、怒りでも悲しみでもない。ただの、人の負だね」
 少しだけ顔を顰め、リョウが呟く。答えるガブリエルの声も、若干だが震えていた。
「何や、これ」
「ヤバイな。掻いた事ない汗が浮かんでやがる」
 天を見上げ、呟くヴァイスとフィオ。
「おかしいな。震えが、止まんない」
「何なんだ、これは。この、殺気でも敵意でもない、冷たい意思は……」
 レナとレイアが、拳を握り締めて天を見上げる。
 本能が、ここは危険だと告げていた。
「謁見室は、この先ですか?」
「あ、ああ。そうだ」
「分かりました」
 一つだけ頷くクロウさん。そして、おもむろに階段を上り始めた。
「さ、策士!?」
 ヴァイスが素っ頓狂な声を上げる。
「これは、中々キツイですね」
 苦笑いを浮かべながら、一歩ずつ足を進めるクロウさん。
「ですが、ここで足踏みしていては、戦争は終わらない。私たちは、皇帝と会わなければ。例え、今この時、皇帝が命を落としていたとしても、それでも向かわねば」
 決意を込めた瞳で、階段に足を掛ける。その瞬間。
「なっ!?」
 クロウさんが、派手に吹き飛んだ。
「さ、策士!!」
「……ちっ!!」
 ヴァイスとリョウが、落下するクロウさんを受け止める。
「本当だったんだな」
 声は、階段の先から。遥か天から。辿り着くべき、頂から。
「嘘かと思ったんだけどな。残念だ」
 声は、降りてくる。ゆっくりと。しかし、確実に。
「あの時、あの場所にいたお前が裏切った。もしかしたら、あれも仕組まれてたのかもな。お前の手で、全てが」
 冷たい意思を引き連れた声は、薄暗い壇上から同じ位置まで下がってくる。
「始めから、お前はスパイだったんだな」
 全てを拒絶する双眸。冷徹な蒼と、激昂の紅。相反する矛盾要素を手に、あの時の少年が階段の前に立ち塞がった。
「なら、お前は敵だ。レイア」
「こ、コウ!?」
 コウと呼ばれた少年は、レイアに静かに剣を突きつける。全てを凍て尽くすかのような、蒼い剣。
「フィオ、レナ。まさか、お前たちもか?」
「な、何がや!!」
「訳わかんないよ!!」
「……まぁ、いいか。全員殺せば、いいことだしな」
 殺気は本物だ。本気で、彼は私たちを殺そうとしている。
「悪いが、お前たちはここまでだ。皇帝、レオには近づけさせない」
 そして広がる、漆黒の片翼。それは、ユウの翼によく似ていた。
「待て、コウ!! 話を聞け!!」
「問答、無用!!」
 吹き抜ける殺気と共に、弾丸のように疾走するコウ。両手に握る紅と蒼が残像を残し、彼は私たちを殺しに掛かってきた。
「くっ!!」
 咄嗟に黄金剣を引き抜き、横殴りの一撃を受け止めるレイア。
 一刀であれば、攻撃はそこで止まっていただろう。しかし、相手は二刀。左右に牙を持つ、獰猛な肉食獣!!
 突き出される蒼の剣。鋭い切っ先は、確実にレイアの喉元を狙う。
 剣を戻せないレイアは、舌打ちをして上体を大きく逸らす。一瞬前までレイアの喉があった空間を突き抜ける諸刃の剣。寸止めをするつもりは、まったく無いようだった。
 上体を逸らした勢いでバック転をするレイア。綺麗な弧を描くプレートグリーヴ。距離を取り、黄金剣を構えなおした。
「コウ、話を聞け!! お前は騙されているんだ!!」
「騙される? ああ、そうだ。お前に騙されたから、マリアたちは死んだ。その罪、死んで償ってもらおうかぁっ!!」
 まるで聞く耳を持たないコウ。一回振るうだけでも相当な力を要する大剣を、左右二本、自由自在に操る姿は、まさに鬼神。近寄るもの全てを切り裂く、剣の暴風雨だった。
「ちっ!! テメェ、いい加減にしやがれ!!」
「……悪いが、お前の復讐劇に付き合っている暇は無い」
 痺れを切らしたヴァイスとリョウが、戦線に参加する。
 振るわれる鎌は、コウの首を薙ぎに。
 突き出される槍は、コウの心臓を貫きに。
 左右同時、正面からの攻撃。常人であれば、何が起こったのか分からないまま死んでいる速度で振るわれた力は、しかし深紅の剣と蒼い剣によって阻まれていた。
 だが、それは布石。確実な攻撃へと繋げるための、囮。
「……即席にしては、いいチームワークだ」
「これで、お前の武器は封じたぜぇ!!」
 そして、ヴァイスとリョウの間。がら空きになったコウの身体。“この一撃で”と突き放たれた刃は、輝く黄金剣。
「退け、コウ!! 今は、お前に用はない!!」
 渾身の力で以って放たれる切っ先。誰もがこの戦闘の終わりを確信したその一撃は。
「用はない、か」
 漆黒の左翼によって阻まれていた。
「ありがとう。今ので、まだ燻っていた気持ちが吹っ切れた」
 静かな、しかし今まで以上に温度の感じられない声。コウの双眸は、完全に生ける屍と化していた。
「淡い想いは捨てていこう。感じた絆も置いていこう。これからの俺は、レオの剣。レオを守護し、外敵を全て排除する剣になろう」
 翼に弾かれる黄金剣。
「もう、これ以上」
 深紅の剣によって弾かれるガブリエル。
「悲しみに溺れないように」
 蒼い剣によって弾かれるグラスヴァイン。
「お前たちを殺して、戦争を終結させる。もう、あんな悲しみはいらない」
 無慈悲に振り下ろされる深紅の剣。それは、体勢を大きく崩され身動きの出来ないレイアの身体に吸い込まれるかのように。
「アカン!! アカンで、コウ!!」
 その刃は、フィオの握る剣によって阻まれていた。
「フィオ、か」
「どうしたんや、一体!? まるで、何かが乗りうつっとるようやぞ!!」
 必死に訴えかけるフィオ。
「自分を思い出せ!! お前は、そんな奴ちゃうやろ!!」
「ふぃ、フィオ……?」
 片膝を付き、目の前で凶刃を受け止めるフィオに呟くレイア。
「お前も、邪魔をするのかよ」
「皇帝が狙われた時、その時に何があったかなんて知らん。けど、けどな? 自分を捨てたらアカンのや。どんなに辛いことがあっても、自分だけは」
「……」
 場が固まる。誰も動かない。動こうとしない。張り詰めた空気は消えることを知らず、心臓の音がやけに大きく聞えた。
「……それだけか?」
 言葉は、それだけ。
 深紅の剣を一閃するコウ。たったそれだけで、力負けするフィオ。宙に浮いた身体は、追撃を以って放たれた回し蹴りで壁際まで吹き飛んだ。
 誰も、動けなかった。それは、本当に一瞬の出来事。
「どんなに辛いことがあっても、か」
 冷たく笑うコウ。
「お前も、悠みたいなことを言うんだな。何も知りもしないくせに」
 コウの口から出た、ユウという言葉。
 そうだ。あまりの展開に忘れていた。あの時、コウを止める為に残ったユウの姿が、見えない。
 気付けば、私はクレスケレンスを抜いていた。
「ユウは、どうしたのよ……」
 声が、冷たい。自分でも驚くくらいに。
「あいつは、俺が殺した」
 ああ。分かっていた。この、悪魔のような力を持つ剣士と一騎打ちで戦い、そしてこの場に姿を見せない理由。分かっていたんだ。ユウがこの場にいないことに気付いた、その瞬間に。
 でも、信じたくなかったんだ。
いつものように、優しい眼差しと一緒に戻ってくるって、そう、信じていたから。
 クレスケレンスを握る手に力がこもる。何で、こんなにも憤っているのか。
「あいつも、フィオと同じようなことを言っていた。何も知らないくせに、知った風な口を利いた。だから、殺した」
 脳裏に浮かぶのは、あの時の涙。愛した人を失った、ユウの涙。二度とは訪れない、悲しみの生誕祭。
「フィオ!!」
 壁際で動かなくなったフィオに駆け寄るレナ。フラッシュバックする、遠い記憶。
「くっ……!」
 トラウマだ。恐怖が、身体を支配する。こんな時に思い出すことじゃないのに。思い出すべきじゃないのに。
「聞かせてやろうか? 悠の最後を。どんなに情けなく死んでいったのかを」
 その言葉を聞いた瞬間。私の目の前は真っ赤になった。
「……ふざけないで」
 ヴァイスとリョウは、レイアを連れて下がっている。私とコウを遮る壁は、何も無い。
「あんたこそ、何も分かってない」
 魔力が渦を巻く。押さえが利かない。圧倒的な怒りの前には、トラウマなんて無いに等しい。
「自分の悲しみを人に押し付けて、勝手に被害者ぶって」
 瞳が、深紅に染まっていく。構えるは三日月の弓。唯一、私の真眼に耐えられる魔弓。
「調子に乗るんじゃないわよ!!」
 そして私は、弦を引き絞った。
 魔力に呼応して、召喚された粒子が光の矢を形成する。
 もう、止められない。否、止めるつもりも無い。
 こんなに悔しいのは、初めてだ……!!
「聖光の濁流に呑まれなさい!! 聖なる一閃レディアント・アーク!!」
 放たれた光の矢は、一直線にコウに向かって飛翔する。避けることなど許されない。
 周囲のものを吸収し、それら全てを滅しながら、光の矢はコウに、その肉体に吸い込まれていった。
 しかし。
「この程度かよ」
 声は、真正面から。
 有り得ない。そんな事は、有り得ない。何故、声がするのだろう。何故、光は十字に裂かれ、霧散しているのだろう。何故。
「あんたが、目の前にいるの……?」
 答えは無く、戻ってきたのは蒼い一閃。真眼を以ってしても、その一撃を受け止めきれず。私は、なす術も無く後ろへと吹き飛んだ。
「危ない!!」
 そんな私を受け止めてくれる、クロウさん。衝撃で脳が揺れる。視界が揺らぐ。
 圧倒的な、力の差。真眼を以ってしても埋まらない、歴然とした差。
 背中をクロウさんに預けながら。感じるのは、無力感。
 あの時、あの悪魔のようなアーティファクトを相手にしたときのような、無力感。
「諦めろ。悠も死んだ。そして、お前らも死ぬ。あとは王国を壊して、戦争はお終いだ」
 悔しい。こんな所で、私は死ぬ。そう思うと、とんでもなく悔しい。
「思えば、あいつも馬鹿な奴だったな。昔から救いようの無い、愚かな偽善者だった」
 ……愚かな、偽善者?
「知った風に口を利く、上辺だけの人間。本当に、反吐が出るな」
「……ふざけないでよ」
 愚かな? 上辺だけ? 知った風に口を利く、だって!?
「あんたの方こそ、知った風な口を利くんじゃないわよ……!!」
 足に力を込め。一歩ずつ、前に進む。
「ユウは、十分悲しんだ。十分傷ついた」
 膝に力を入れ、立つ。辛いだなんて、言ってられない。ユウの涙を受け止めたから。その重みを、例え一瞬でも受け入れたから。
 だから。何があっても、ユウを、否定させるわけにはいかない。
「でも、ユウは逃げなかった。愛する人を目の前で失って。悲しみでその身を焦がして。でも、逃げなかった……!!」
 ああ。今、ようやく分かった気がする。私が、何に対して悔しさを抱いていたのかを。
「ちゃんと受け止めて、それで前に進んでいるのよ、ユウは!!」
 悔しいなぁ。私の力じゃ、仇を取ることさえ出来ない。何もすることが出来ない。
 気付けば、私は知らぬ間に泣いていた。
「知った風な口を利いた? なら、あんたはユウの何を知ってるのよ!?」
 涙交じりの非難の声に、コウは表情を強張らせる。
「あんたに何があったのかなんて知らない! 知りたくも無い! でも、何も知りもしない奴に、ユウのことを否定なんかさせない!!」
 そう。否定なんか、させるものか……!!
「自分が一番悲しいですって、悲劇のヒーロー気取ってんじゃないわよ!!」
 反響する言葉。誰も、何も喋らない。ただ、無音の空間の中。
「……馬鹿だな、お前」
 無機質な声が、響いた。
 何も映さない漆黒の双眸は、全てを呑み込んで無に返すかのように。
 コウは、また全てを否定した。
「ふ、ふざけるなぁああっ!!」
 真眼を発動したまま。クレスケレンスを投げ捨て、光の矢を掴んで疾走する。
 許さない。許せない。もう、なにも考えられない。その存在が、許せない……!!
 雄たけびと共に光の矢を大上段に振りかぶり、私は動こうともしないコウに目がけて、一気にそれを振り下ろした。
 衝撃は、二回。
 両腕に感じたものと、腹部に感じたもの。
「かはっ!!」
 コウは、深紅の剣で、その峰で私の両腕を砕き、蒼い剣で。その腹で私の腹部を打ち据えた。
 そして、私が吹き飛ぶ寸前。コウは左の紅を手放し、空いた手で私の喉を鷲掴みにした。
 両腕には、もう力が入らない。腹部をやられた影響か。両足にも、感覚が無い。
「ミリア!!」
 駆け寄ろうとするヴァイス。しかし、コウはそれを眼光のみで威圧する。
 たったそれだけ。それだけで、動けなくなるヴァイス。もう、こいつは人間じゃない。ただの、化け物だ。 「勘違いしているようだから、教えてやる」
 握る力が強くなる。
「こっちの方こそ、そんな事情なんか知ったことじゃないんだよ。お前らがどんなに辛い目にあっていようが、悲しい目にあっていようが、そんな事は関係ない。王国は、俺の大切なものを奪った。だから、滅ぼす。俺が、そう決めた。悲劇のヒーローを気取るつもりはねぇ。これは、ただのエゴなんだよ」
 その言葉に、私は、底の知れない恐怖を感じた。何か、得体の知れない憎悪。それも、何年も何年も蓄積した、純粋な憎悪。
「それじゃ、死ね」
 そうして、喉が砕かれようとした瞬間。
 コウは喉を掴んだ手を離す。目の前で、真空が渦を巻いた。
「あぶねぇなぁ」
「やらせませんよ」
 声は、クロウさんのもの。
 この機を逃さず、私は後ろへ跳んだ。着地する先は、クロウさんの隣。魔本をかざし、高速詠唱を以ってコウの腕を切り飛ばそうとしたクロウさんの隣。
「雑魚が」
 突き刺していた紅色の剣を引き抜き、コウはクロウさんを睨みつける。
 吹き抜ける恐怖。もう、私たちの相手は人間じゃない。恐怖の化身だ。
「コウ」
 悲しそうに眉根を寄せるレイア。
「もう、お前は……」
「お前らまとめて、死ね」
 蒼い剣を地面に突き刺すコウ。刀身を伝った魔力が床を駆け抜け、幾千もの亀裂を生む。亀裂から溢れ出るのは、純粋な力の濁流。あんなのに当たれば、確実に死ぬ。
「皆さん!! 早く私の近くに!!」
 クロウさんの叫び声。呼応するように、リョウとヴァイスがクロウさんを挟む形で。その後ろに、気を失っているフィオを抱えたレナとレイアが。
「全、拒絶、障壁!!」
 そうして形成される結界。魔力の濁流はその結界と力比べを始め。
「くっ!!」
 結界に罅が入る。もう、持たない。
 駆け抜けるのは走馬灯。身体が、精神が諦めた瞬間に見せる、虚ろな幻。フラッシュバックするその景色。人。体験。
 最後に。笑うユウの顔が浮かんで。
 ――そして。
「伝説は、事実になるんだ」
 声が、聞えた。
―――――――
 がむしゃらだった。何も、考えてはいなかった。ただ、呼んでいたから。呼ばれていたから。それが、叶えなくちゃいけない想いだって思ったから。だから、僕はここに立つ。
 目の前には、踊る力の奔流。
 後ろには、守るべきもの。
 ――なぁ。
 頭の中。声が響く。
 ――お前は、どうしてそんなに必死なんだ?
 答えなんて、決まっている。
(多分、君と同じだと思う)
 ――同じ?
(そう。遥か昔。がむしゃらで、必死になって。お姉ちゃんを護ろうとした君と、同じ)
 ――そうか……。
 声は、とても安らかで。安心に満ちていて。
 ――なら、安心だ。お前なら、俺みたいにはならないさ……。
 分かっていた。どうして、僕が生きているのか。あの時。確かに死んだはずの心臓が、まだ動いているのか。
 意識が覚醒した瞬間に、全て。
(ありがとう)
 それは、心からの感謝。
 ――礼はいらねぇよ。俺は、お前だ。だから、これが自然なんだ。
(うん)
 かつて別れた一つの魂。対峙した二つの魂。それぞれが未完成で。欠片を失っていて。
 ――胸を張れ。今この時から、お前がアウル・アントラスだ。
 決別すると誓った名。この名を胸に刻むのは、これが最後。これから先、僕は佐々木悠として生きる。
(あの時から、僕たちは一つに戻っていたんだよね?)
 ――気付かなかっただけだ。自分の、側面に。一つになった、違和感に。
 ああ。あの時。僕が、僕を貫いたあの時。僕たちは、個として完全になったんだ。ただ、気付かなかっただけで。
 ――さぁ。俺が喋れる時間も少ない。去り往く一人として、晴れて統合者になったお前に、一つだけ助言してやる。
 裏表のない声。これが、アウルの、本当の声。闇に囚われ、忘れていた本当の心。  ――対極の英雄。この言葉を、忘れるな。そして、何があっても、自分を忘れるな。お前はもう、佐々木悠なんだからな。
 その言葉に、どれだけの意味があるのか。今の僕には、まだ分からない。でも、心に深く刻み込まれた。
(うん。忘れない。忘れないよ、僕)
 ――ああ。それじゃあ前を見ろ。護るべきものを見ろ。今度こそ、今度こそは後悔しないように……。
 薄れていく声。うん。ありがとう。
 浮かんだのは、あの、仮面に隠されていた僕と同じ顔。それは、最後に、屈託のない笑みを浮かべて。
 ――じゃあな。
 僕は、僕の中に還っていく。悲しいとは思わない。寂しいとも、思わない。死から蘇り、一つに覚醒して。
 今の僕の心臓は、アウル・アントラスの心臓だから。
(だから、ありがとう)
 刹那の邂逅は終わり、広がるのは現実。
 魔力が、暴力と化した魔力が眼前に広がる。
 でも、大丈夫。心配要らない。この時の為に、力がある。お姉ちゃんがくれた、力がある。
 静かに瞳を閉じて。流れに逆らわず、身を任せる。手繰り寄せるのは、遠い記憶。微かに香る、あの日の光景。優しくキミが微笑む先。目指す過去は最強の自分。さあ、視ろ。目を逸らさず、その真の瞳で視ろ。
 結合する記憶。情報は魔力を伴って形を持つ。
 識ると言うことは、体験すること。
 今この時。たった、五分だけだけど。大切なものを護る為に。
 形を持つ影。それは、あの日に送られた大剣。ただ一人、大切な人を護る為に名付けられた、誓いの剣。
 なら、今度こそはその誓いが違える事の無いように。
 手首を返し、力強く振るう一閃。魔力と言う名の存在意思は、存在意思を殺すという特性を持った剣の前に、その頭を垂れ、ひれ伏した。
 伝説だと。遥か昔、伝説が王国を勝利に導いたと。後の歴史研究家は語る。
 ただがむしゃらに。一人の人を大切に想う心を伝説だと語るのならば。
「伝説は、事実になるんだ」
 そう。この瞬間。現実を以って、伝説として像を結んだ幻は。真実を以って、現実として像を結んだ。
―――――――
 ありえない。何でだ。何で、ここにいるんだ?
「お前は、あの時に俺が殺したはずだ」
 そう。あの手応えは、確実に致命傷だった。流れた血の量から言っても、出血多量で死んでいる量だった。
 なのに、こいつは、当たり前のようにここにいる。
 窓を突き破り。ヒーロー気取りで俺の魔力を切り捨てて。
 深紅の眼で、俺を睨んでいる。
「何で、生きているんだ!!」
 訳が分からない。あれは、亡霊なのか? ただの、幻影なのか?
 否、違う。ただの幻影に、俺の魔力が消されるはずが無い。なら、あれは、何なんだ?
「功」
 静かな声。
 制服は、ボロボロだった。血が固まって、へばり付いていた。ここまで、一度も止まらずに駆け抜けてきたのだろう。髪型も、少し崩れていた。
 なのに、何であいつは、あんなに澄んだ顔をしているんだ? 何で、俺はこんなにも、恐怖を感じているんだ? 「待ってて。今、助けてあげるから。僕が、君を縛る呪縛から」
 助けて、あげる? 呪縛?
「ふざけんな!! 助けてあげる? 何を勘違いしてんだ、テメェはっ!!」
 冗談じゃない。
「俺は、俺だ!! それ以上でも、それ以下でもねぇ!!」
 そう。俺は、俺。俺なんだ。
「なら、何で功は泣いてるの?」
 悠は。かつての親友は。不意に、そう言った。
 泣いている? 何だよ。何言ってんだよ。泣けないから、泣けないからこうして……!!
 ――思い出せ。マリアたちに、あいつらが何をしたのかを――
 ……ああ。そう。俺は、泣けないんじゃないんだったな。もう、涙が涸れてしまった。それだけなんだ。
 ――そう。それでいい――
 ゆっくりと、双剣を構える。
「俺は、泣いてなんかいない。勘違いもほどほどにしろよ? あんまり邪魔だと、もう一回殺すぞ」
「功っ!!」
 もう、戻れない。振り返れない。俺の見る世界は、果てしない憎しみの先に広がる、焦土の荒地だけなんだから。
 さあ、じゃあ始めようか。
 これは、いつかの再現。遥か昔に執り行われた、決闘の再現。
 武蔵と小次郎が切り結んだ舞台が巌流島ならば、俺と悠が切り結ぶ舞台はここ、岩龍の間。
「戦争を終わらせたいのなら、来いよ。俺を、止めてみろ」
 静かな挑発。悠は、辛そうに唇を噛み締めて。その大剣を構える。
 そう。それでいい。それでこそ、俺は……。
「さあ、決闘の始まりだ!!」
―――――――
 もう、分からなかった。何で、私たちは生きているのか。何で、コウは追撃を仕掛けてこないのか。
 答えは、簡単だ。そして、その答えが一番分からなかった。
「ゆ、ユウ……」
 ゆっくりと。しかし、油断なく剣を構えるユウ。
 服は、ボロボロだった。所々に、血の跡が見えた。その後姿は、満身創痍だった。
 でも、それでも。
「ごめん、ミリア。少し、遅れちゃったね」
 どうして、こんなに声が温かいのか。
 向ける視線は無く。ユウは、ただただコウを見つめる。ユウが死んだ事実。ユウが生きている現実。否、ユウが死んだなんて、どう確認した? 私はただ、死んだんじゃないかって、勝手にそう思っていただけで。
 ユウは、生きていた。それが、現実で。
「クロウさん」
 静かな声。でも、それはなぜか力強くて。
「ミリアも、みんな。コウは、僕がここで食い止めるから。だから、早く謁見の間に。この戦争を、早く止めないと」
「で、でも、ユウ……」
 ユウは一回、コウに負けている。それは、間違いない。その上で、もう一度食い止めると。ユウは、そう言った。
「大丈夫なんですか? 相手は、人間を捨てた鬼ですよ?」
「……コウは、鬼なんかじゃない。僕が必ず、取り戻してみせる」
 静かな、決意の声。それ以上、誰も何も言えなかった。
「分かりました」
 一つ頷くクロウさん。
「無事、この戦争が終わったら。ゆっくり話しましょう。功くんも一緒に」
 ……? 何だろう。クロウさんは、コウの事を知っている?
「それまで、死んではなりませんよ?」
「……はい、先生」
 満足そうに頷くクロウさん。先生? 本当に、訳が分からない。
「さぁ、行きますよ。ここにいては邪魔になる」
「は、はい」
 促されるまま、階段を駆け上る。
「まだ気を失ってんのかよ、こいつは」
 呆れたように、フィオの肩を担ぐヴァイス。
「……へぇ」
 反対側の肩を持つレナが、感心したような声を出し。
「結構、いい奴なんだね」
 そう言った。
 鋼がぶつかり合う音が響く。始まった。ユウとコウ。二人にとって、避けられない戦いが。
「ミリアさん。今は、戦争を終わらせるほうが先です」
「……はい」
 思わず振り返りそうになったのを堪え、私は進む。ユウは、食い止めると言った。なら、私はそれを信じよう。
「……開けるぞ」
 小さな呟きと共に、扉を開けるリョウ。
 広がるのは、まさに謁見室と言った室内だった。
 天井にぶら下がるシャンデリア。玉座は三つ。恐らくは、王と、王妃と、王位継承者のもの。
 その、中央の玉座。そこに、少年が座っていた。
 否、座らされていたと言うほうが正確か。
 少年は、眠っていた。深い、深い眠り。息をしていないのではないかと思うほどに、深淵に落ちている意識。
「皇帝!!」
 叫ぶレイア。皇帝、だって? なら、あれが帝国の皇帝?
「騒ぐな。眠りは深いが、起きられては面倒だからな」
 声は、玉座の影から。
 現れたのは、黒の甲冑に身を包んだ青年。
「隊長」
 レナが、諦めにも似た声を漏らす。
「裏切り者が、何の用ですかな?」
 同じように影から現れたのは、壮年の男性。その手には、杖が握られていた。
「……裏切ったのは、どっちや。ハジャ」
 意識を取り戻したのか。弱々しくも前を向くフィオ。
「まったく。死に損ないが五月蝿いですねぇ」
 やれやれと首を振るハジャと呼ばれた男性。その動作は、どこか蛇を思わせた。
「皇帝に何をした!?」
 今にも噛み付かん勢いで、レイアが問う。
「何も。ただ、眠っているだけですよ。まぁ、覚めることのない永遠の眠りですが」
「き、貴様……!!」
「おっと、勘違いしてはいけませんよ? 皇帝は、死んではいない。死なれては、後々の事がややこしくなりますから。あくまで、眠っているだけ」
 そう言って、いやらしく笑うハジャ。
「なるほど。確かに、その通りですね」
 乾いた拍手が響く。一歩前に出たのは、クロウさんだった。
「眠っているだけの皇帝。死んでいないから、皇位継承も行われない。まさに、思い通りのマリオネットですね。皇帝の代弁者となれば、帝国を支配するのは容易い」
「そこまでお分かりですか」
「しかし、現段階での目的はそうではない。あくまでそれは、結果としてそうなるだけ。本来の目的ではありませんよね? 佐々木、千夜さん」
 声は、誰に向けられたものなのか。ササキ。それは、ユウと同じ名前。乾いた笑いを漏らすのは、黒の甲冑に身を包んだ青年。
「相変わらず、いい勘をしているな。こちらの世界ではなんと呼ばれている? 百済克己」
 クダラ、カツミ? 誰だ、それは。
「クロウ、と」
「そうか。俺は、ケイオスと呼ばれている」
 互いに、視線で相手を牽制する。空気が固まる謁見室。一触即発の状態で。誰も、動こうとする者はいなかった。
「しかし、さすがに精神は殺しきれなかったか。あと一歩だったんだがな」
「貴方こそ。あの呪縛だらけの世界でよくあそこまで動けましたね」
 二人が何を言っているのかが分からない。
 ただ、初対面ではないことは理解できた。
「隊長!!」
「何だ、レイア」
「聞きたいことがある」
「言ってみろ」
「あの時。皇帝を狙った暗殺者の死体の中に、見覚えのある顔があった。監獄で服役中の、罪人だ」
「ふむ」
「王国の暗殺部隊だと名乗った奴らの中に、それが混ざっていたんだ。しかも、一人じゃない。全員だ。全員、死刑を待つ罪人たちだ」
「よく、調べたな」
「あの時感じた違和感は、それだった。何でなんだ、隊長? 何で、罪人たちがそんな真似を」
「教えてやろうか?」
 ニヤリ、と。背筋の凍るような笑みを浮かべるケイオス。
「全て、コウを覚醒させる為だけのものだ」
「コウ、を?」
「そうだ。対極の英雄。その負極の英雄として、コウは覚醒していなかった。覚醒に必要な憎悪を、コウは知らなかった。だから植えつけた。死を待つだけの能無しにチャンスと言う名の餌を与え、皇帝を狙わせた。いや、正確にはコウを、か」
 クスクスと。>混沌ケイオスは嗤う。
「下準備は出来ていた。あとは、ほんの少しの憎悪。苛立ちでもいい。嫉妬でもいい。必要だったのは、ほんの少しの負の感情。執拗に狙われれば、苛立ちもするだろう。狙われないお前に、嫉妬もするだろう。それが狙いだったのだが」
 小さな嗤いは、やがて大きなものへと変わっていく。
「まさか、あんな偶然があるとはなぁ。信じられないほどの憎悪だったろうよ。大切なものを、目の前で残酷に殺されるというのは」
 嗤い声が、反響する。偶然だった? 偶然だっただって?
「なら、マリアたちは、その偶然で殺されたのか?」
 声は、平坦なものだった。抑揚なんてつけられない。感情が、身体の中で渦を巻く。
「そうだ。偶然だ。案ずるより産むが易し。結果としてあいつの中の負の感情は爆発した。タガが外れた。今のあいつは、ただの依り代だ。遥か過去、後悔と自責の念によって塗り固められた、純粋な憎悪の器だ。今のあいつは、コウであってコウでない」
「そ、そんな……」
「あいつが二振りの大剣を扱うとき。扱う為の力は、憑依術式によって供給される。王国の奥義である、真眼と似たようなものだ。しかし、真眼と違う点は二つある。一つは、その名の通り、自分の本質ではなく他者の本質を無理やり自らに憑依させ、強制的な主導権を以って力と成す点。そしてもう一つは、憑依させる本質は、外からの干渉で容易に誘導することが出来るという点だ。あいつが始めて憑依術式を使った時。俺は誘導してやった。純悪という名の本質を、な。そしてその時に、既に種は蒔かれたのだ。次に術式を使ったときに、芽が出る種が」
 可笑しくて堪らないと言った風に笑い続けるケイオス。
「ケイオス。話はもういいでしょう? そろそろ、邪魔者の始末を」
「純悪の名は、シオン。シオン・マグナデュエス。遥か過去、余に歯向かった反乱分子よ」
「シオン?」
 誰だろう。聞いた事の無い名前だ。
「そう、シオン。シオンとは、即ち死怨。恨みを以ってリセットを願う者だ」
「ケイオス?」
「皮肉なものだ。余に歯向かった反乱分子が、今この時に必要な切り札なのだからな」
 おかしい。ケイオスの様子が、何かおかしい。口調が変わり、雰囲気が変わって。
「な、なら、ならコウはどうなる!?」
「魂の死。このままでは、精神が喰われて死ぬであろう。そして、純悪が力をつける温床として存在するのだ」
「なっ……!!」
 愕然とするレイア。
「見たであろう? あの鬼を。もう、誰にも止められん。コウは、既に生きながらにして死んだ存在なのだよ」
 そう言って、踵を返すケイオス。
「待ちなさい!! どこに行くつもりです、ケイオス!!」
「世界の最果て。時が来るまでに、まだ時間がある。余は、そこで見物でもしておこう。平和にボケる人の愚かさを。危機が迫って、そこでようやく絶望する人の愚かさを」
「ま、待て!! まだ、邪魔者の始末が!!」
「ああ、そうであったな」
 思い出したように振り返るケイオス。引き抜かれたのは、深紅の大剣。それは、コウの持っていたものとまったく同じで。
 そしてケイオスは、何の躊躇いも無く、ハジャの首を刎ねた。
 言葉が出ないのは、全員同じだろう。そう。それは、まったく異様な光景だった。
「これで、邪魔者は消えた。この戦争で集めるべき存在意思も集めた。後に、レオも起きるであろう。ではな。時が来れば、また会おう」
 そう言って。言った瞬間には、ケイオスの姿は霧のように掻き消えていた。
 異様な沈黙が場を支配する。圧倒的な存在感。他者を寄せ付けぬ眼光。一体、ケイオスとは何者なんだろう。
 皇帝が目を覚ますまで。謁見室にいた誰もが、言葉を漏らすことは無かった……。
―――――――
 剣戟は激しく、他者を寄せ付けぬ暴風雨はこのホール全域を覆っていると言っても過言ではなかった。
 戦闘が始まって、一分が過ぎた。残り時間は、四分。
「しつけぇんだよ!!」
 上下左右から、縦横無尽に襲い掛かる二本の大剣。真っ向で受けることはせず、それら全てを受け流す。
 動きが、視える。次の動作を、感じ取ることが出来る。過去が、僕に力をくれる。
 剣戟を掻い潜り、懐に入る。ほぼ零距離。この間合いで、僕たちの振るう大剣は無用の長物だ。でも、だからこそ。この間合いでも、出来ることがある。
 狙うは、功の鳩尾。人体の急所を、柄で貫く!!
「ちっ!!」
 感じた悪寒。鳩尾に柄が突き刺さる寸前。僕は、身体を横に跳ばした。
 危ない。あのままだったら、首にデカイのを貰っていた。
「さすがは、陽極の英雄だな。が、出し惜しみしてると、死ぬぜぇ!!」
 功の言葉に呼応するかのように。漆黒の翼が、黒く輝く。不完全な片翼。左だけの、飛べない翼。
 否。あれは、飛ぶことを目的としたものじゃない。それは、僕がよく分かっている。あの翼は、増幅器ブースターなんだ。輝けば輝くほど、使用者の能力を底上げする一種のドーピング!!
 出し惜しみは出来ない。もとより、するつもりも無い。
 前を見ろ。敵を視ろ。今までの訓練を思い出せ。今までの経験を思い出せ。全ては、この時のため。今までの地獄が、この時に無駄になるものであってどうする!!
 傷だらけの足場。蹴り抜いたのは、功の足。双剣を構えて間合いを詰めるその姿は、まさに鬼神!!
 なら、ならば僕も。
「僕の全てを以って、君を討つ!!」
 最初は、剣道の真似事から始まった。気付けば、自分でも分からない動きをしていた。この世界に来て、その動きを始めて理解した。そう。それは、神速の燕!!
「秘剣・燕返し!!」
 遥か昔。佐々木小次郎が編み出した必殺剣。さあ、佐々木の意地を受けて見せろ、宮本!!
 逆袈裟に舞い降りた燕。不意に、唇を歪める功。
 見せる構えは、両の大剣を背中に隠すもの。そこから繰り出されるものを、僕は感じ取って。もう、剣は戻せない。勢いが付きすぎた。
「秘剣・十字裂傷翼!!」
 そして、燕はその翼を切り刻まれた。
「なっ!!」
 横一文字に振るわれた深紅の剣がセイヴ・ザ・クィーンを弾き、縦一文字に振るわれた蒼白の剣が衝撃を伴って僕の眼前に叩き落される。
 生まれるのは、真空の刃。大気が震え、襲い掛かる不可視の刃。
「がはっ!!」
 身体が、切り刻まれる。至る箇所に、裂傷が走る。そして、追撃として放たれた功の回し蹴りが僕の鳩尾に突き刺さった。
 吹き飛ばされ、壁に激突する身体。駄目だ、肺の空気が全部持っていかれた……!!
「弱いなぁ。なぁ、悠。お前、その程度なのかよ」
 残り時間は後一分半。もう、時間がない。
「……功」
「あん?」
「行くよ。これが、最後の大技だ……!!」
 立ち上がり、セイヴ・ザ・クィーンを構える。刀身に纏うは、溢れんばかりの魔力。剣が生み出す反発力を無理やり押し込め、魔法を打ち消す剣は今、魔法を纏う剣になる。
「はああぁぁぁっ!!」
 駆ける。身体が軋むが、そんな事に気をとられている場合じゃない。
 功は既に目の前。構えも取らず、否、構えを取れずに突っ立っている。
「なっ!!」
「っあ!!」
 左足で床を蹴り、回転に乗せた右足を功に叩き込む。吹き飛ぶ功。これで、準備は整った。
 着地と同時に跳び上がる。もっと、もっと上に。魔力と反発力が軋みを上げる。まだだ、まだ、持ってくれ!!
「我流奥義、雷刃・瞬閃!!」
 滞空した状態で、セイヴ・ザ・クィーンを上段から振り下ろす。放たれたのは、疾風迅雷の一撃。避けることは許されない。技の発動は、即ち着弾なんだから。
 大気との摩擦で帯電した魔力の塊が、功の身体に吸い込まれていく。
「甘いんだよ!!」
 怒号が聞える。魔力が、十字に斬られる。でも、そんな事は分かっていた。
 功が体勢を立て直したときには、僕はもう間合いの中。功は既に剣を振りぬいている。防ぐ手段なんて、無い!!
「我流秘剣!!」
 襲い掛かる燕。しかし、功はそれらをバックステップで避ける。
「間合いはもう分かってんだよ!!」
 そう。もう、間合いは計られている。ならば、決して計られない間合いの攻撃を!!
 刀身には、魔力が渦を巻いて。
「え?」
 さっきの攻撃は、ただの目くらまし。威力も半分以下の、見せ掛けの技。
 本命は、この一撃。魔力と剣技の融合。さあ、受けてみろ。これが、僕の、一撃だ!!
「燕落とし!!」
 舞い上がろうとした燕は、その翼を折られ。失意のうちに、大地に叩き伏せられる。
「燕を、自分で!?」
「うおおおおおぉぉぉぉっ!!」
当たらなければ、無理やりにでも当てに行くだけ。その過程で、燕が叩き落されただけのこと!!
 零距離で放たれる、魔力の塊。それは実体を持たない刃と化して、功の身体を切り刻んだ。
「ふっ、ざけんなぁああああっ!!」
「なっ!!」
 生まれたのは衝撃。吹き飛ばされる身体。開ける視界。
 功は、制服もボロボロで、身体も傷だらけで。それでも、まだ立っていた。
 セイヴ・ザ・クィーンが消えていく。真眼の効果が切れる。
「悠……!!」
 一歩を踏み出そうとする功。しかし、その膝は途中で折れて。
「な、に?」
「オーバーロードだよ、功」
 刀を杖の代わりにして。軋む身体に鞭打って。僕は、立ち上がる。
「オーバー、ロード?」
 見れば、二振りの大剣はその姿を二本の刀に変えている。
「君の操る力は、人間に扱える力じゃなかった。人として、限界が来たんだよ」
「俺の操る力、か」
 功は、小さく笑って。
「無理だよ、悠。俺は、まだ終われない」
 そして、立ち上がった。
「功!!」
「マリアたちは、殺された。俺は、助けられなかった。それは、俺の罪だ」
 ゆっくりと、双剣を構える。
「声に、応えてしまった。全てを、滅ぼそうとした。それも、俺の罪なんだ」
 その傷だらけの身体で。功は、どこを見ているのか。
「だから。俺はその罪をどこまでも背負おう。抱えきれない罪を背負って、世界を滅ぼそう!!」
「そんな!!」
「俺は、許せなかったんだ。王国が、自分が、世界が。だから、滅ぼすんだ」
 ゆっくりと、切っ先を僕に向ける。
「さあ、来いよ。決着をつけよう。世界が終わるか、俺が死ぬか」
 痛みを押し殺した声。悲しみを押し殺した声。  ……ああ、そうか。そういう事だったのか。
「君は、どこまでも不器用だよね」
 分かってしまった。これが、責任のつけ方なんだ。功の、どこまでも不器用な。
「お前は、どこまでもお人好しだな」
 なら、僕が切り裂こう。君の責任を。君を縛る、影の残骸を。
「行くよ、功!!」
 そうして僕は、床を蹴り抜いた。
―――――――
 目の前で、魔力の塊が弾ける。当たれば消滅は必至の大技。
「くっ!!」
 駄目だ。避けられない。俺は、ここで死ぬのか? マリアたちの仇も取れず、ここで死ぬのか?
 ――許すな!! マリアを苦しめた者を、マリアを苦しめた世界を!!――
 ああ、そうだ。許せない。許すことなんか、出来ない!!
 脳裏に浮かぶのは、悲しみの光景。人を捨てさせられ、機械となるしかなかった少女の姿。
 ――マリア!!――
 こんな所で、死ねない!!
「ふっ、ざけんなぁああああっ!!」
 だから。かつての愛剣であるセイヴ・ザ・キングに全てを託して。俺は、荒れ狂う魔力の塊を貫いた。
 起こりえるはずの無い外乱。防げない内乱。魔力に剣を突き刺した瞬間に生じた莫大なエネルギーが、対消滅現象を引き起こす。
 真っ白になる視界。途切れそうになる意識。
 ――シオン――
 ああ、マリア。俺は、またお前を護ることができなかった……。
(っ!! 誰だ、テメェ等!!)
 器は黙っていろ。お前は、黙って俺の肉体になればいい。
 ――シオン――
 分かっているさ。必ず、俺がこんな世界を塗り替えてやる。お前が、また笑えるように。
(ふざけんな!! 俺の身体を返しやがれ!!)
 ちっ。意識体が覚醒したのか。なるべく、お前の思考をトレースして合一化をしようと思ったんだが……。 (何言ってんだ!!)
 無理やりにでも、お前には眠ってもらおうか。
 ――シオン――
 ……っ!? 何だ!? 誰だ!!
(?)
 止めろ!! 俺を引き釣り込むな!! 俺から、肉体を奪うな!!
(な、何だ!?)
 ――シオン――
 やめろおおおおぉおおぉぉぉっ!!
(っ!!)
 視界が回復する。真っ先に映るのは、ボロボロになって倒れている親友の姿。
「悠……!!」
 足を踏み出す。が、力が入らない。まるで、自分の身体じゃないかのように。力の込め方がわからない。
「な、に?」
「オーバーロードだよ、功」
 刀を杖の代わりにして、悠が立ち上がる。
「オーバー、ロード?」
『マスター!! 無事ですか!!』
『ちっ。まさか俺たちも喰われるとはな』
 声が聞える。見れば、俺は緩衝白夜を握っていた。あの、紅と蒼の大剣じゃない。
 ああ、そうか。俺は、戻ってきたのか。あの泥の中から、この世界に。
「君の操る力は、人間に扱える力じゃなかった。人として、限界が来たんだよ」
「俺の操る力、か」
 悠の言葉に、俺は自嘲の笑みを浮かべる。あれは、俺の操る力じゃない。俺を操る力だった。
 シオン、か。
「無理だよ、悠。俺は、まだ終われない」
 そして、俺は立ち上がった。
「功!!」
『マスター!?』
『おいおい』
 終われないんだ。このままじゃ、終わるなんて出来ない。
「マリアたちは、殺された。俺は、助けられなかった。それは、俺の罪だ」
 ゆっくりと、緩衝白夜を構える。
「声に、応えてしまった。全てを、滅ぼそうとした。それも、俺の罪なんだ」
 そう。そして俺は、肉体を手渡してしまった。悠を、親友を手にかけてしまった。
「だから。俺はその罪をどこまでも背負おう。抱えきれない罪を背負って、世界を滅ぼそう!!」
 そうした方が、お前も躊躇わずにすむだろう?
「そんな!!」
「俺は、許せなかったんだ。王国が、自分が、世界が。だから、滅ぼすんだ」
 それは、本心だから。本当に、許せなかったから。だから、その闇に付け込まれた。滅ぼそうとした。まだそこまで至らなくても、最終的にはそうしようとした。
 ゆっくりと、切っ先を悠に向ける。
「さあ、来いよ。決着をつけよう。世界が終わるか、俺が死ぬか」
 だから、これはケジメだ。その結果として俺が死んでも、構わない。
 シオンとかいう訳の分からない思念に乗っ取られていた。レイアまでも、殺そうとした。レイアだけじゃない。フィオも、レナも、みんな。
 見ていた。なのに、何も出来なかった。俺が、弱かったから。
 責任は、取ろう。
「君は、どこまでも不器用だよね」
 さすが、勘がいいな。
「お前は、どこまでもお人好しだな」
 本当に。お前が、親友でよかった。
「行くよ、功!!」
 互いに、本気。
 床を蹴り抜き、跳躍し、悠は刀を振りかぶる。
「来い、悠!!」
 緩衝白夜を担ぐように構え、駆ける。
 刀が交差する。俺の、渾身の一撃は。
「さすがだ、なぁ」
 悠の放つ一撃の前に、完全に空を斬った。
 袈裟懸けに斬られた身体。吹き出す血は止まらず、これはもう致命傷だった。
 いや、傷自体は致命傷じゃない。身体が、致命傷なんだ。
『マスター!!』
『おい!! しっかりしろ!!』
 うるせぇなぁ。疲れてんだよ、寝かせろよ。
 意識が沈んでいく。消えていく感覚の中。ああ、これはあの時と同じだなと。そう思った。
「コウっ!!」
 声が聞える。何だよ、騒がしい。
「死なせないからな、コウ!!」
 悲痛な叫び声。ああ、うるせぇ……。うるせぇ……なぁ……。
 そうして。俺の意識は完全に途絶えた。
―――――――
 ここは、世界の最果て。語り部の住む、ある種の桃源郷。
 さあ、準備は整った。あとは、時が来るのを待つだけ。
「……マリア」
 人形が呟く。
 余は、語り部。世界を紡ぐ、語り部。
 さあ。その時まで。余が世界を紡ぐまで。
「世界を楽しむといい、人間」
――エピローグ――
 目が覚めると、そこは見知った部屋だった。
 光が眩しい。つーか、何で俺生きてんだろ。
「目が覚めた? 功」
 首を横に向ける。そこには、椅子に座って苦笑する悠の姿があった。
「ゆ、悠……」
「まったく。無理しすぎだよ」
 呆れたような声。そうか、無理のしすぎか。
「なぁ、悠」
「何?」
「俺、ケジメはつけれたか?」
「うん」
「そっか」
 それだけ聞ければ、十分だ。
 ……いや、十分じゃねぇよ!!
 慌てて、飛び起きようとする。が、身体が動かない。こう、なんつーか。重石みたいなのが乗っかっているような……。
 やっとの思いで、上半身を起こす。
 視界に入ったのは、蒼い毛玉。それが、俺の身体の上で寝息を立ててやがる。
「感謝しなよ? ずっと看病してくれてたんだから」
「看病?」
「自分の魔力を限界まで使って傷を塞いで、足りない血を輸血して。よかったね。血液型が同じで」
 ……は?
 わけわかんねぇ。何だ? 一体、あれから何があったんだ?
「それじゃあ、僕は行くよ。事後処理とかもしなきゃならないし」
 笑みを浮かべて、立ち上がる悠。
 そして、去り際。
「君が生きてて、本当によかった」
 そう、呟いた。
「悠……」
「う、うぅ〜ん」
 唸る毛玉。もとい、レイア。
 ゆっくりと顔を上げて。隈の目立つ顔で俺の顔を睨んで。
 そしてそれはやがて、驚愕の表情へと変わっていった。
「こ、コウ!! お前、もう大丈夫なのか!?」
「あ、ああ。何とか、な」
 よかったぁ、と胸を撫で下ろすレイア。
「あ〜、レイア?」
「な、何だ?」
「いや、その……。退いてくれないかな〜とか」
 言われて気付いたのか、慌てて飛びのくレイア。
「あ、ああ。すまない」
 咳払いをして、椅子に座るレイア。
 そんなレイアに、俺は深く頭を下げた。
「すまなかった!!」
「え? えっ?」
 当然、戸惑うレイア。
「俺、お前たちを殺そうとした。だから……」
「ああ、そのことか」
 レイアは、何でも無いという風に笑う。
「安心しろ。みんな、お前があの時どんな状態だったのか知っている」
「いや、でも……」
「お前は、お前なりにケジメをつけた。違うか?」
 悠の奴、みんなに喋ったのか?
「なら、それでいいじゃないか」
 そう言って笑うレイアは。今までで一番の笑顔だった。
『馬鹿みたいに悩んでもしかたねぇ事だぜ、マスター』
『そうですよ。マスターは馬鹿なんですから』
 聞えてきた声に、俺は立てかけられていた緩衝白夜を睨む。
 うるせぇ。
「なぁ、他のみんなは?」
「ん? ああ、あいつらか」
 あいつら。それはつまり、レナとフィオの事だ。
「あいつらは、皇帝と一緒に王都へ行った。ここに残っているのは、私とお前と、あの王国の兵士だけだ」
 ああ、王都に。って、ええ!?
「王都に!? 何で!?」
「落ち着け」
「あ、ああ」
「焦らなくても、説明してやる。少し長くなるが、な」
 そうして、俺は事の顛末を事細かに聞かされた。約、三時間にも渡って……。
―――――――
 あの後。王国と帝国は休戦協定を結んだ。
 レオ皇帝の念話とクロウさんの念話によって、戦闘中の兵士は全軍戦闘中止。戦闘を続行するものは、厳罰処分に課せられることになった。まぁ、そんな人はいなかったんだけど。
 最前線での負傷者は数え切れないほど。でも、死者は出なかった。クレア総隊長が出した指示みたいだったけど、現実にするあたり、やっぱり聖騎士団はすごい人たちの集まりみたいだ。
 でも、それは最前線での話。最終防衛ラインでは、やっぱり死者は出たらしい。でも、戦争は後腐れなく終わった。多分、みんな気付いていたんだと思う。恨みは、何も生まないって。ご都合主義みたいな考えだけど、今はそう信じたい。
 今頃は、レオ皇帝とレヴァール王が最終協定を結んでいることだろう。
 日本にいる時には、当たり前だった平和。それが、この世界にやっと訪れた。
 気になるのは、謁見の間で消えたっていう兄さんのこと。そして、功の肉体を支配していた者のこと。クロウさんは、しばらくは大丈夫だって言っていたけど、気になるものは気になってしまう。
 まぁ、でも今は思考の隅に置いておこう。やっと訪れた平和。今は、それを楽しもう。
「ユウ!!」
 帝都を出た時。馬車から声をかけてきたのは、ミリアだった。
「あれ? 帰ってなかったの?」
「君を置いて帰れるわけ無いでしょ? 馬にも乗れないクセして」
 呆れたような声を出すミリア。僕は、苦笑を浮かべた。
「ヴァイスと御影は帰ったのに」
「べ、別にいいでしょ!? 私の勝手よ!!」
 うん。そういう事にしておこう。
「何? その変な笑みは」
「いや〜。何でもないよ」
 ふんっ、と顔を逸らしながらも、僕に手を差し伸べてくれるミリア。
 僕はその手を掴んで、馬車に乗り込んだ。
「それじゃあ、帰ろうか」
「うん」
 そうして、馬車は走り出す。
「でも、本当によかった……」
「ん? 何か言った?」
「何でもないわよ〜」
 笑みを浮かべて、窓の外を眺めるミリア。僕は訳が分からず、首を傾げるばかりだった。
―――――――
次回予告
残る謎。訪れた平和。忍び寄る災厄。
人は大切なものを知り、人は安らぎを得て、人はただ一つを願う。
全ての記憶が繋がるとき。全ての真実が浮き上がるとき。
人は、その役目を全うする。
次回
遠い約束・第二部
――これは、始まりへと続く終わりへの物語――




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