第七章〜対極の英雄〜
-遠い約束〜白銀の生誕祭〜-

――陽の章――

 揺れる馬車の中。向かう先は、王国と帝国の国境。両国が真っ先にぶつかる、最前線。
 緑の草原を駆ける馬車は三つ。
 クレア総隊長率いる、チーム・アインス。
 アレックス率いる、チーム・クワトロ。
 そして、ヴァイスが率いて僕が所属する、チーム・アハツェン。
 残りは、僕たちの激戦区を掻い潜った帝国軍を迎え撃つために、各地に散らばっている。
 帝国からの宣戦布告は、二日前。理由として提示されたのは、帝国の皇帝であるレオ・ラオデキア・ライズアーク暗殺未遂によるもの。
 クロウさんは慌てて事実関係を調査したが、戦争は避けられなかった。
 だから、事実確認のためにクロウさんはチーム・アインスの馬車に乗っている。
 高い戦闘力、深い知識。クロウさんは、心強い味方だった。
 この世界に来て、初めての大きな戦い。事実はどうであれ、表向きには大義名分を得た帝国。これから行うのは、人殺し。
 戦争と言う名の、人殺し。
 馬車の上空を、影がよぎる。窓から見上げた先には、巨大な龍の姿。
「おいおい、カッパードラゴンかよ。龍駆る者ドラゴン・ライダーが相手じゃ、王都防衛組は厳しいぜ」
 厳しい顔で、ヴァイスは呟く。
 この戦争は、時間が全てを決する。帝国は、短期決戦を挑んできていた。
『帝国で、最後の和平調停を行います』
 そう言ったクロウさん。帝都ラオデキアまでの護衛は、僕たちチーム・アハツェンの役目。
 僕らを乗せた馬車は、国境に近づいていく……。

―――――――

 国境は、まさに激戦区だった。両軍の兵が争い、倒れ、辺りには術式による爆発臭と死臭に満ちている。
 ボクたちを降ろした馬車は、急いで王都に引き返す。
 そう。それでいい。死ぬべきじゃない命を、死なせるわけには行かないから。
「クレア」
 クロウが声をかけてくる。
「これから、チーム・アハツェンの護衛の下に国境を越え、帝都ラオデキアに向かいます。見晴らしのいい街道です。道を、開いてくれますか?」
「何を遠慮してるんだい? クロウの道は、ボクが作る。誰にも邪魔をさせないよ」
「頼みます」
 言って、頭を下げるクロウ。ボクはそんなクロウが可笑しくて。つい、笑ってしまった。
「クレア?」
「何でもないよ。……クロウ。絶対に、生きて帰ってきて。ボクは、待ってるから」
「ええ、分かりました」
 頷き、チーム・アハツェンと共に行動を開始するクロウ。
 ボクは一歩を踏み出し、剣の柄に手を添えた。
 これから向かうのは、戦場。命を賭けた、殺し合いの場。
「あいつらに任せて大丈夫かねぇ」
 飄々とした声を出す、チーム・アインスのランサー、ネロ・ラクソウェル。
「大丈夫だよ、ネロ。向こうには、伝説がついている」
「そうですよ。心配しなくても、大丈夫」
 ボクの言葉に同意する、チーム・クワトロのランサー、フィア。
「俺が敵陣に穴を開けます。先制攻撃は任せてもらいますよ」
 フラムベルジュを抜きながら、不敵に笑うアレックス。実に、頼もしい笑みだった。
「出番だからと、力み過ぎるなよ。空回りしたら、何にもならないからな」
 ロングボウを構えながら、クレイがそう皮肉る。
「ふっ。貴様、誰にものを言っている?」
「……くっくっ」
 そんなやり取りに、忍び笑いを漏らすライ。死神の名を冠するフリッカーは、珍しく楽しそうだった。
「やれやれ。実に頼もしいものですね」
 苦笑を浮かべながらヘヴィボウガンを構えるのは、チーム・アインスのアーチャー、ミオ・メルキア。
 その細い身体のどこにそんな力があるのか、長い黒髪を靡かせながら銃口を敵陣に向ける。
「そろそろ、策士一行が街道に入る頃だ。道を開けるぜ」
 両手に持った双鎌を肩に担ぎ、不敵に笑うチーム・アインスのフリッカー、メルディア・レスター。
「それじゃあ、始めよう。戦闘開始だ」
 剣を鞘から抜き放つ。リボルバーとクレイモアの融合剣。装填される実弾は無く、代わりに各属性の魔力を装填することができるガンブレード。
 その名も、リボルビング・クレイモア。
「敵には、爆発を得意とする術者がいるみたいだね」
 戦場に残っている焼け跡。それが、敵戦力を物語っている。
「なら、見せてやりますよ。本当の爆発が、どんなものかを。この、爆炎エクスプロージョンのアレックスが」
 循環し、アレックスの左腕に収束する魔力。
「我、渇望、爆砕!!」
 振り下ろされる左腕。魔力は確かな形となり、敵本陣中央に爆炎の華を咲かせる。
 それを皮切りに、ミオとクレイが混乱する敵に向けての遠距離攻撃。成す術も無く倒れていく帝国兵。
 混乱が収まり、敵戦力がこちらに向く頃。一騎当千の力を持った騎士たちが駆け出していく。
「リボルビング・クレイモア。モード・アイシクルエッジ」
 引き金を引く。装填されていた氷の魔力が伝わり、刀身が青白く輝く。
「さあ、道を開けてもらうよ!!」
 全ては、愛しき人のために……。

―――――――

 背後で爆発音。敵の注意が逸れ、街道を抜けることが安易になる。
「派手にやってるねぇ」
 後ろを見ながら、ヴァイスが呟く。
 爆炎の華は敵陣中央に穴を開け、指揮系統を混乱させていた。
「行きましょう。このままだと、犠牲は増える一方です」
 クロウさんが言い、歩き出す。その正面を僕と御影、背後をヴァイスとミリアが守るようにして歩く。
 国境から帝都までどのくらいの距離があるのか。昔のままだったら、とんでもない距離のはずだ。
「クロウさん」
「何ですか、ユウくん」
「このまま、歩いていくんですか? かなりの距離がありますよ?」
「ええ。ですから、協力者に頼んであります」
 協力者?
 疑問に思いながらも、街道を抜ける。
 数キロ歩くと、街が見えた。
「あそこです」
 言われるがままに街に入る僕たち。
 そこで待っていたのは、馬車を引き連れた中年の男性だった。
「おう、待ってたぜ」
「それでは、帝都まで」
「任せときな」
 男性は言うと、馬車の綱を握る。
「策士、この人は?」
 ミリアが疑問の声を上げる。
「この人は、協力者ですよ」
「協力者?」
 ええ、と頷くクロウさん。
「王都にも帝都にも、戦争を好まない人はいるんですよ。例えそれが、表沙汰になることのない水面下の戦争でも、ね」
 それを受けて、頷く男性。
「ああ。戦争なんか、しちゃいけねぇ。どういう形であれ、戦争ってのは大切なものを奪っていくんだからな」
 一瞬、悲しそうな顔をする男性。
「だから、止めてくれよ、この戦争を。死んでいった奴らのために、な」
 この男性の過去に何があったのか。それは分からないけど。でも、その言葉にはとても力があった。
 馬車に乗り、帝都に向かう。
 揺れる景色。流れる景色は緑だけ。しかし、ここより数十キロ離れた場所ではすでに戦闘が始まり、多くの人が死んでいるのだ。
「戦争が表沙汰になった今、もたついている暇はありません。短期で和平調停を結び、死者を少なくしなければ」
 そう語るクロウさん。もしそうなれば、これは数時間の衝突で終わる戦争になる。
「これまで、色々ありましたからね。これ以上、人死は嫌なんですよ……」
 しかし、それは表での話。今まで、王国と帝国は水面下で何十年も戦争をしてきたのだ。それをよく知るクロウさんにとって、今の事態は耐えれるものじゃないんだろう。
 チーム・アハツェンとクロウさんを乗せた馬車が、鬱蒼と生い茂る森に近づく。
「旦那、悪いが、案内はここまでだ。ここから先は、特殊な訓練をした馬じゃねぇと入れねぇ。安全な迂回路はどんなに急いでも二日掛かるし、なにより帝国兵が検問を張ってるしな」
「分かりました。ここまで、ありがとうございます」
「礼はいらねぇよ。それよりも、頼んだぜ」
「ええ」
 男性と別れ、森の中に入る。
 そこは、一種の魔界だった。
 土は湿り、生き物の気配はせず。代わりに、死臭と腐敗臭の立ち込める樹海。
 差し込む光は少なく、それが一層この森の不気味さを際立たせていた。
「早く抜けましょう。長くいたら、方向感覚が無くなってしまいます」
 クロウさんの一言に頷き、駆ける。
 術式による方向確認をしながら、迅速かつ確実に歩を進める。
 不意に、何かの泣き声がした。それは、確かに人間の声。しかも、幼い子供の声だ。
「泣いてる」
 ミリアが呟き、泣き声のほうへ駆けて行く。
「ミリア!?」
「先に行ってて!!」
 走り去っていくミリア。
「追いかけて来い、ユウ。こっちは、俺とリョウに任せろ」
「う、うん」
 僕は、ミリアの後を追いかけるように駆け出した。
 ただ真っ直ぐに。泣き声のするほうに向かって、駆けて行く。
 と、不意にその泣き声が消えた。次の瞬間には、衣を裂くような悲鳴。それは、ミリアのものだった。
「ミリア!!」
 ワンサイド・ウィングを発動し、駆ける。
 開けた視界。飛び込んできたのは、クレスケレンスを構えて戦うミリアと、巨大な、四足歩行の化け物だった。
「くっ!!」
 刀を抜き、ミリアの正面に躍り出る。
「大丈夫? ミリア」
「ゆ、ユウ……。赤ちゃんが……赤ちゃんが……」
 見れば、ミリアの身体は震えていた。これじゃ、満足に弓も引けそうにない。
 刀を構え、化け物を睨む。
 化け物は僕を確認すると、その裂けた口を大きく歪ませた。それは、獲物が増えた歓喜の笑み。
 開かれる口。現れたのは、生まれて間もないような赤ん坊の顔。
 それが、泣き声を上げる。さっきまでの泣き声の正体は、これだったのか。
 赤ん坊を飲み込むようにして口を閉じる化け物。僕は刀を構え、化け物の攻撃に備えようと足に力を込める。
 その瞬間。化け物が、縦一直線に裂けた。
 甲高い絶叫を上げながら、消滅していく化け物。
 淡い光が天に昇る中。
 ――ドクンッ――
 心臓が、高鳴った。
「おいおい。何やってんだよお前」
 声がする。化け物を屠った奴の、声がする。
「何で、こんな所にいるんだ?」
 懐かしい声。頭が割れるように痛む。忘れていた欠片。いや、忘れさせられていた空白部分。
「しかも、王国側と一緒かよ」
 何で、今まで忘れていたのか。忘れるはずのない、親友の顔を……。
「なぁ、悠」
 双剣を携え、不敵な笑みを浮かべた親友の姿。宮本功が、そこにいた……。

――陰の章――

 薄暗い樹海の中。木漏れ日は弱く、湿気が大地を支配する異界。俺がこの世界に来て、初めてこの地に足を付けた場所。
 俺はただじっと、待っていた。
「ねぇ、コウ?」
「何だよ」
 この場には、俺とレナしかいない。レイアとフィオは、別行動中だった。
「本当に、ここに敵の主力が来るの?」
「さぁ、な」
 この森を、敵の主力は通過する。それが、ケイオスさんが提示した情報だった。
 戦争を手っ取り早く終わらせるため、レオの命を狙うために。
 最前線では、帝国騎士団クルセイダーズ処刑執行人エクスキューショナーズ、そして龍駆る者ドラゴン・ライダーが戦っている。
 物量的には、圧倒的に有利。敵の主力も、その圧倒的な火力を潜り抜けてくるとは思えない。しかし、ケイオスさんは俺たちにここを動くなと命じた。
 まるで、この戦争の結果を先読みしているかのように……。
「敵主力を分散させて、各個撃破しろ、か。どう分散させればいいんだろうね?」
「心配しなくても、分散するだろうぜ。この森には、あの化け物が棲みついているからな」
 そう。どんなに敵が強くても、所詮は人の子。人の情に付け込むあの化け物がいる限り、敵は戦力を分散させるはずだ。
 真っ直ぐに帝都に向かう部隊と、赤ん坊を助ける部隊とに。
「皆で赤ん坊を助けようとして、それで帝都に向かうかもしれないのに?」
「それはないな。この戦争は、時間が勝負を分ける。下手に時間を使えば、王国の負けだ」
 そう。王都壊滅が先か、帝都陥落が先か。それが、この戦争の最終的な結末なんだから。
「言っている傍から、来たぜ」
 遠くで、赤ん坊の泣き声が聞える。それは、あの時の声と同じ。あの化け物が餌を見つけた合図だった。
「行くぞ、レナ」
「うんっ」
 湿った地面を蹴り抜き、駆ける。
 化け物を始末され、戦力を合流させる前に。早々に、ケリをつける。
 木々をすり抜けるように駆ける。少女の悲鳴が、前方で響き渡った。
「一人、か?」
「違うよ、コウ。この気は、二人いる」
 珍しく険しい表情で、魔力銃イーグルとマインゴーシュを引き抜くレナ。
「何、この気……。底が見えない……」
 どうやら、とんでもない奴が敵の主力にいるようだ。
 開ける視界。見えるのは、あの化け物の、甲殻に覆われた背中。そして、その巨体からはみ出るようにして伸びている刀の刀身。
「大丈夫? ミリア」
 声が聞えた。湿気の森に風が吹く。はためいているのは、見覚えのあるコートの裾。
 俺は緩衝白夜を引き抜き、化け物を縦一直線に切り裂いて。
 息を呑む気配。消えていく化け物。透けて見える、忘れようのないその姿。
 そうして、予感は確信へと変わった。
「おいおい。何やってんだよ、お前」
 確か、あいつは王国に捕らえられているはず。それが、何で?
「何で、こんな所にいるんだ?」
 知らず、声が震える。考えたくない現実。そいつの後ろで震えている少女は、間違いなく王国側の主力だろう。
「しかも、王国側と一緒かよ」
 導かれる結論は、唯一つ。そいつは、王国と手を組んだ。そして、レオを殺しに来た。戦争を終わらせるため、人を殺すため、マリアたちを殺した王国側の兵士と一緒に。
 そうだろう?
「なぁ、悠」
 そうであるなら、容赦はしない。お前がレオを殺しに来たのなら、俺が、それを止めてやる。
 不思議と、俺は笑みを浮かべていた。
「こ、功?」
 信じられないといった表情で、俺を見つめる悠。
「何で、ここに?」
「そりゃ、こっちの台詞なんだけどな」
 緩衝を肩に担ぎ、悠を見つめる。
「悠。親友としてのお願いだ。お前が、王国の奴らに何を言われたかは知らないが、引き返してくれ」
 それは、せめてもの願い。もしかしたらという、儚い祈り。
「……ごめん、功。悪いけど、それはできない」
 片翼を広げ、刀を構え。しっかりとした眼差しで俺を射抜く悠。
「僕たちは、どうしても帝都に行かなくちゃならない。この戦争を終わらせるために。もう、誰も死なないように」
 そう、か。残念だ。
「帝都に行って、レオを殺す、か。残念だよ、悠。お前は、もう王国側なんだな」
「……僕たちが、誰を殺すって?」
「そんな事はどうでもいいんだよ。お前らは、どうあっても帝都に行くことはできないんだからな」
 そう言って、白夜を悠に突きつける。
「レナ。これからの戦いには、手を出さないでくれ」
 もう、悠は親友なんかじゃない。あの、憎い王国の手先なんだ。マリアを、ルディアを、ミカを、そしてラゼフを殺した王国の。
 なら、せめて俺の手で殺してやる。親友だったから。例えそれが、憎しみで塗り潰されるような友情だったんだとしても。
「もう、お前らに誰も殺させない!! お前ら王国は、俺が全力を以って潰してやる!!」
 ――そう。そうやって、憎しみを開放していけ――
 一瞬の頭痛。そして、俺は地を蹴った。
「くっ、功!!」
 交差する緩衝と刀。経験したことのない手応えに、悠の動きが止まる。
 俺はその首めがけて、白夜を振り抜いた。
「ユウ!!」
 声と共に飛来する三本の矢。軌道を無理やり修正し、それを弾き落とす。
「ちぃっ!!」
「くっ!!」
 距離を取る悠。
「ミリア。お願いがあるんだ」
 悠であれば、緩衝の発する違和感に二、三回の斬り合いで順応するだろう。
「この戦いには、手を出さないで。あのバカの目を覚まさせるのは、僕の役目だから」
 バカ? バカだと?
「テメェ、誰がバカだ!!」
「功、君の事だよ。君の剣は、憎しみと哀しみで満ち溢れている」
 静かに、全てを見通したように語る悠。
「そんなんで剣を振っても、哀しみしか残らないから」
「何を知った風に……」
「分かるよ。今の功は、あの時の僕と同じだから」
 同じ? 同じだって?
 悠に何があったのかは分からない。だが、同じだと?
「ふざけるなよ、悠」
 何が、何が同じだ。俺は、俺は……!!
「俺は、目の前で失ったんだっ!!」
 もう、自制なんて出来そうにもなかった。
 強く握る緩衝白夜。こいつらは、何も言わなくて。ただ、黙って俺の憎しみを受け入れる。
 地を蹴って、悠に肉薄する。
 振るう刃は白夜。神速の残光剣にして、避けることを許さない高速剣。
 しかし、悠は事もなさげにその刃を受け止める。白夜よりも細い、その刀で。
「くっ!!」
 後ろの少女を巻き込まないつもりか。攻撃に転じながら、少女との距離を開ける悠。
「ミリア!! ヴァイスたちと合流して、帝都に急いで!! ここは、僕が食い止めるから!!」
「ゆ、ユウ……」
「早く!!」
 躊躇いがちに頷き、駆け出していく少女。
「レナ」
「分かってるよ」
 俊敏な身のこなしでそれを追うレナ。
 出鱈目に見えて、確実に急所を狙ってくる刃。俺は、緩衝と白夜を使ってそれを捌く。否。二本を以ってしても、完全には捌ききれない。
「功っ!! もう止めるんだ!! こんな事をしても、失った人は戻ってこない!!」
「悠っ!! そんな、知った風な口を利くな!!」
 静かな、それでいて強い意志を持った瞳。今は、それが憎くて。
「あいつらは、関係なかったんだ!! ただ、平和に暮らしていただけなんだ!! ただ、誕生日を皆で祝っていただけなんだ!!」
 悠は言った。俺と同じ思いをしたから、俺の思いが分かると。そんなもの、ただの詭弁だっ!!
 右から襲い来る刃を緩衝で受け止め、白夜を振るう。
 素早く刀を引いて、白夜を受け止める悠。互いに互角の、いや、俺がやや押されている斬り合い。
「なのに、なのにお前ら王国はっ!!」
 互いの剣がぶつかり、樹海に鋼がぶつかる音が虚しく響き渡る。
「狙いは、レオだったはずなのに!! なのに、何でだっ!!」
 何で、何でなんだ!!
「何で、マリアたちを殺したぁっ!!」
 剣戟は一層激しく。もう、何者も寄せ付けない。
「こ、功……?」
「もう、誰も殺させない!! 戦争が続く限り、こんな悲しみが続くと言うのなら!!」
 魔力が身体を駆け巡る。溢れ出しそうな力は、術式となって紡ぎだされ。
「功っ!! 君は、君の目的は、ただの復讐なのかっ!!」
「だから、お前は分かってないんだ、悠!!」
 起動する術式。広がる黒翼。左肩より帳を広げる、片翼。
「ただの復讐なんかじゃ、生温い」
 吐き出される力はまだ収まらない。意識が流れ込んでくる。必要な情報を取り込んで、別の個としての力が広がっていく。
 交錯する白と黒。煌く紅蒼。
「等しく、平等に与えてやる。未来を奪われる悲しみを。幸せを壊される苦しみを。王国の奴ら全員に」
 ――そうだ。もっと憎め。陰極の英雄として、悲しみと憎しみでその身を染めろ――
 握る刃は既に緩衝白夜とは違うもの。刀身には真紅の血液が纏わりつき。そして、悠は、かつての親友はその身を血で染めて湿った大地の上に崩れ落ちた……。

―――――――

 日蝕の森。誰が名付けたのか、いつから存在しているのか。
 日の光が殆ど届かず、明るい日中でも暗く湿った森の中。私とフィオは、森に入ってきた気配を手繰り行動していた。
 コウとレナ。あの二人と別行動を始めてからもう久しい。方向感覚はおろか、時間の感覚までも曖昧になり溶けていく異界の中。全ては、ケイオス隊長の命令だった。
「しっかし、かなわんな〜」
 開いているかも分からないような細い目で辺りを見渡すフィオ。
「コウも、もうあんな事を言うようになったんやなぁ」
 あんな事、とは何のことか。一拍して、それが別行動を取るときのあいつの言葉だと気付く。
「……コウ」
 皇帝が狙われてから、あの痛ましい事件から数日が経った。そして、その僅か数日で、あいつは変わった。
 始めは怖いもの知らずで、見るものの新鮮さに輝かせていた瞳。
 しかし、今となっては暗く澱んでいる。必要以上に喋らず、ただ一心不乱に稽古に打ち込み。
 あいつは、コウは変わってしまった。
「帝都に王国兵を入れたら殺す、やって。ったく、何があったんねや」
 何があったのか。フィオとレナは、知らない。ただ、皇帝が命を狙われたという事だけしか。
 あの時。コウは、泣いていた。四人の遺体をそっと抱いて、見晴らしのいい丘の上に埋めて、質素だが墓標も立てて。
 何も言わず、涙が涸れ果てても。
 知っているのは、皇帝と、私だけ。あいつが話さないなら、私が話せるはずがない。だから、知らない。
「まぁ、言われんでもって感じやけどな」
 不敵に笑いながら、フィオは呟く。
「相手の狙いが皇帝の命なら、ワイらはそれを全力で阻止する。それが、近衛騎士団インペリアル・ナイツや」
 な、と同意を求めてくるフィオ。私は頷きながらも、あの時感じた違和感を払拭できないでいた。
 あの時。敵は、コウだけを狙って行動していた。皇帝や、護衛の私じゃなく。わざわざ武装しているコウを。
 それに、いくら武装しているとは言っても、コウは戦闘の初心者と言ってもいいほど場慣れしてない。あの腕で、あの人数で囲めば、数分も持たずにコウを始末できたはずだ。
 なのに、わざわざ致命傷を与えることなく攻撃を続けた。
 それが、腑に落ちない。一体、なぜ? 王国は、本当に皇帝の命を狙っていたのか? いや、そもそもあいつらは本当に王国の奴らなのか? あの人数で、敵の本拠地に乗り込んできて。わざわざ正体を明かして、それでいて皇帝を狙わなかった。
 そして、示し合わせたかのように、コウが覚醒した。
 あいつらの本当の目的は、皇帝の命ではなくコウの覚醒だった?
 しかし、一体なぜ。わざわざコウを覚醒させても、王国側になんのメリットもない。しかも、覚醒のことは本人も知らなかったこと。それを、何で王国は知っていた?
 知っていたなら、逆に覚醒させないようにするほうがシックリ来る。しかし、奴らはあえてそれを促した。
 結果的に帝国が受けた損害はほとんどゼロ。それどころか、大義名分までもこっちに転がり込んできた。
 おかしい。話が、うまく行き過ぎている。
 これではまるで、身内の安い三文芝居を見ているようだ。
「……フィオ」
「何や?」
 先を歩くフィオが振り返る。私は、その顔を見つめて。
「この戦争。何かがおかしい」
 そう告げた。
「何かって、なんや?」
「全てだ。そもそも、本当に王国側は皇帝の命を狙ってここまで来るのか? 一度、失敗していることなのに」
 そう。皇帝の殺害は、あの時に阻止されている。時を置かずにまた同じ事をするとは考えにくい。
「なぁ、レイア」
 フィオが、訝しげに眉を顰める。
「あの時、何があったんや? お前、少しおかしいで」
「おかしい、か」
 言われてみれば、確かにおかしい。ここ最近、世界を巡る情勢の全てが。
「帝国兵の貴女もそう思いますか」
 声は正面から。迂闊だ。思考に浸かりすぎて、警戒が疎かになっていたらしい。
 私は、慌ててバルムンクを引き抜く。見れば、フィオは既に槍剣ヴェルトールを構えていた。
 薄暗い木々の間。暗闇を掻き分けるようにして現れたのは、白銀に輝く槍の穂先。
「ちぃっ!!」
 鋭い切っ先を眼前で受けるフィオ。
 次いで現れたのは、禍々しい大鎌。負の意識が蠢くこの異界の中で、その刃はより一層禍々しく輝いている。
 受け止める刃は、黄金剣バルムンク。
 首を刈らんと迫る刃を弾き、柄が伸びる暗闇へと視線を向ける。
「ヴァイスくん、リョウくん。武器を収めてください」
 聞えてきたのは、落ち着いた声。どこか憂いを帯びた、思慮深い声だった。
「ちっ、しゃあねぇなぁ」
 そして視界に現れる、白。ボサボサの髪の毛をカチューシャで纏めた、どこかコウに似た青年。
「……」
 次いで現れたのは、漆黒。黒髪に黒い双眸。白い半袖のシャツに黒のズボン。漆黒の衣を腰に巻いた、無表情な少年。
「私たちは、無益な争いをする為にここまで来たのではありません。武器を収めてもらえませんか?」
 そして最後に現れたのは、人のよさそうな笑みを浮かべる二十代後半の男性だった。
 幾重にも重ねたローブ。手に持った分厚い本。そのどれもが、様になっている。
「初めまして。王国で策士をしております、クロウという者です」
 礼儀正しく頭を下げるクロウ。その姿に慇懃無礼な雰囲気はなく、むしろそうする事が自然に思えた。
「一体、どういう事や?」
 予想外の展開に、動揺するフィオ。
「クロウ、と言ったか。貴方も、この戦争はおかしいと?」
 私はバルムンクを納め、そう聞いた。
「ええ。王国が帝国の皇帝の、その命を狙うことなど有り得ない事ですから」
 有り得ない事?
「何が有り得へん事や。現に皇帝は狙われたんやぞ!?」
 その言葉に噛み付くフィオ。
「だから、有り得ないんだよ」
 フィオを睨み、青年は口を開く。
「宣戦布告に関する理由提示。その中にあった、皇帝殺害未遂の時刻。その時刻に、王国の兵隊は動いていない。いや、動くことが出来なかったんだ」
「? どういう事や」
「葬式だったんだよ。王国の民が尊敬し、信頼していた人の、な」
 葬式、だった?
「皆にとって大切な人が死んだときに、皇帝を暗殺しようなんて器用な奴は、王国にはいねぇよ」
 脳裏によぎるのは、悲痛に顔を歪めるコウの姿。あの人たちが殺されてから。コウは、三日は部屋から出てこなかった。精神的に弱いとか、感傷的過ぎるとか。そんなのじゃなくて。大切な人を失った悲しみは、それほど深いものなのだ。
 例え、関わりが少なかったとしても。
「……なら、納得がいかないな。そんな時に、どうして王国の暗殺部隊が皇帝の命を狙いに来るのか」
「……一つ、言っておくが」
 漆黒の少年が、初めて口を開く。透き通った、中性的な声。しかし、どこか影を帯びている。
「王国に、暗殺部隊など存在しない」
「存在してないやと!?」
「公にされてない、もしくは完全に秘匿にされている。その可能性は?」
「ないよ〜。だって、王国の主要都市及び全駐屯所には、ボクが散歩の名目でお邪魔してるからね〜。その上で、何かを隠している痕跡はゼロだったよ〜」
!?
「だ、誰や!!」
「いや、目の前にいるって」
 苦笑を浮かべながら、少年の持つ鎌を指差す青年。
「鎌が、喋った? インテリジェンス・アイテムの類か?」
「違うよ〜」
 淡い光に包まれる大鎌。次の瞬間には、その姿はどこにでもいそうな黒猫に変わっていた。
「なっ!?」
「……喋るなと言っただろう。話がややこしくなる」
 言われ、不満げに喉を鳴らす猫。
「つ、つまりや。本当に、何もなかったと?」
「……事実だ。味方のことを把握していない状態で、戦争なんか起こされたら堪ったものじゃないからな」
 そう言う少年の顔は、至って無表情だった。
「りょ、リョウ!! お前、そんな事してたのかよ!!」
 当の味方も知らなかったらしい。
「なら、誰や。誰が、皇帝の命を……」
「疑問は、ハッキリとさせなければな」
 私は呟き、踵を返す。
「れ、レイア?」
「着いて来い。謁見の間まで案内しよう」
「な、何言うとんのやレイア!! いくら疑問があるっちゅーても、こいつ等は王国の人間やで!?」
「責任は私が取る。いや、私の考えが正しかったら、むしろ責任を取るべきだ。私たちが、な」
 分からないといった表情で、首を傾げるフィオ。私だって、分かりたくなかった。だが、分かってしまったのだ。その上で王国と戦うなど、そんな器用な真似は出来ない。
「分かりました。それでは、お願いできますか?」
「ああ」
 短く頷く。
「何か、意外な展開だなぁ」
 そう呟く青年。
「短い付き合いだろうが、一応自己紹介はしておくぜ。俺は、ヴァイス・グローリー。聖騎士団八番隊ランサー、それが俺の肩書きだ」
 聖騎士団。まさか、大陸中にその名を轟かせる部隊の所属だったのか。隊長が近衛騎士団インペリアル・ナイツをこの森に配置した理由が、分かった気がする。そして、この茶番の黒幕が誰なのかも……。
「……御影、涼だ」
「ガブリエルだよ〜」
「フィオや。ホンマに短い付き合いになると思うけど、よろしゅう」
 ため息を吐きながら、自己紹介をするフィオ。
「レイアだ」
 短く言って、私は先頭を歩き始めた。この、くだらない茶番を終わらせる為に……。

―――――――

次回予告

振るう刃は誰の為。受ける刃は誰が為。
告げられる事実。しかし、その声は彼に届くことは無く。
誰が味方で、誰が敵か。曖昧になる境界線は、溶けて混ざり合う。
次回
遠い約束・第一部最終章
「時を越えた決闘」
――僕は、全てを懸けて君を討つ……!!――




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