第四章〜聖天使(後編)〜
-遠い約束〜白銀の生誕祭〜-

 演習場。緊迫した空気の中、集合する聖騎士団。集まったのは、一番隊と四番隊、そして八番隊。他は、別任務で各地に散っている。アウルも、別行動中だった。
「先程、報告が入りました」
 真剣な声色で、クロウさんが説明を始める。
「現在、王都に向かって帝国のアーティファクトが進撃をしています。このままだと、王都と接触するのは遅くても三時間後」
 僕はその説明を、無気力に聞いていた。
「アーティファクトの危険度は、モンスターに例えるのであればSS級です。もしこれが王都に接触すれば、王都壊滅は免れません。チーム・クワトロは最前線に出て、アーティファクトを殲滅してください。第二防衛ラインとして、チーム・アハツェンを後ろに配置します。殲滅が無理であれば、空間転移用簡易術式陣トランスポーターを使ってチーム・アハツェンと合流した後、殲滅に当たってください。チーム・アインスは、最終防衛ラインとして王都に残ってもらいます」
 頷く皆。でも、僕にはそんな事はどうでもよくて。今は、何も考えたくなかった。
「それでは、解散!!」
 声と共に、駆け出すチーム・クワトロ。一刻も早く前線に出て、アーティファクトの進行を食い止めようとしているのだろう。そして、それに続くようにチーム・アハツェンの面々も駆け出していく。
 でも、僕は下を向いたまま動こうとはしなかった。
「何してるのよ、ユウ!!」
 ミリアが、僕の腕を掴む。でも、僕はそれを振り払った。
「ユウ?」
「放って置いてよ」
 自分でも驚くほどの、冷めた声。一瞬、ミリアの身体が強張った。
「何言ってるの? 君が欠けたら、前衛は……」
「ヴァイスと御影がいる」
「そういう事を言ってるんじゃないのよ!! 君が欠けたら、戦力が大幅に落ちるの!!」
 戦力が、落ちる? 何を言っているんだろう。お情けでセイバーのクラスに就いているこの僕に、ミリアは何を期待しているんだろう。
 仲間外れは、可哀想だから? 置いて行ったら、可哀想だから? そんなの、冗談じゃない。
「止めてよね、そういうの」
「え?」
 顔を上げ、ミリアの顔を真っ向から見据える。
「戦闘にも慣れていない、戦う力もほとんど無い。そんな僕を連れて行って、一体何の役に立つって言うんだよ」
「ゆ、ユウ?」
「見ず知らずの土地で、右往左往しようとしている僕が可哀想だと思ったから! だからチーム・アハツェンに入れて!! 同情して面倒を見て!! 少し力がついたら、仲間扱い!? ふざけるなよ!!!」
 激昂する。言葉が止まらない。歯止めが利かない。完全に、僕はキレていた。
「何も知らない僕を笑顔で迎えてくれたから、だからそれに報いようって必死に努力して!! でも、そんなの意味が無いじゃないか!! 可哀想だってずっと思っていて、そんな目で僕を見て。結果が出れば、自分の事のように喜んで!!」
 もう、自分が何を言っているのかすら分からない。ただ感情に任せて、口を開き続ける。言葉を、吐き出し続ける。溜まっていた何かを、全て吐き出すかのように。
「僕に同情して、優越感に浸って! そんなの、ふざけるなよ!! 僕に同情なんかするな!! 僕を憐れに思うな!!」
 肩で息をする。辛そうに視線を逸らすミリア。僕は拳を握り締め、そんなミリアに背を向けた。
 もう、やっていけない。
「ユウ!!」
 ヴァイスの声がする。でも、僕はそのまま演習場を後にした。

―――――――

 第一防衛ライン。炎剣フラムベルジュを握り、俺は遥か彼方を見詰めていた。
 任務を受けて、一時間半。来るのであれば、そろそろだ。
「見えたぜ、アレックス。標的ターゲットだ」
 クレイが、ロングボウに矢を番いながら呟く。鷹の目を持つクレイの言うことだ。もう少しで、戦闘が始まる。
「ほぅ、速いな」
 どこか感心したように呟くクレイ。しかし、そんな口調とは裏腹に、弓を持つ手が震えている。
 俺は、頬を伝う冷や汗を拭った。
 吹き抜ける魔力。それは、全てを吹き飛ばす暴風に似ていて。
 地平線から、何かが急速に接近してくる。間違いない、ターゲットだ。
「フィア!!」
「うん!!」
 術式を編むフィア。張られる結界。これより先、何があっても奴は俺たちの後ろへ抜けることは無い。
「さあ、行くぞ」
「……」
 無言で鎌を構えるライ。フィアも、トライデントを構える。
 距離が詰まる。先制攻撃の間合いまで、あと五、四、三、二、一。
「シッ!!」
 矢を放つクレイ。それを確認した瞬間、俺とフィア、そしてライはターゲットに向かって走り出した。
 躊躇いはいらない。迅速に。それ以上に確実に。炎剣を握る手が汗ばむ。力の濁流は目の前。ここを突破されれば、後に響く。
 放たれた矢。それを追いかける形で疾走。視界に映るターゲット。ホバリングで移動しているのか、砂塵が舞い上がっている。
 矢がターゲットに接近する。その瞬間。放たれた矢は、甲高い音と共に地に墜ちた。
 全体像は、無骨な鎧姿。諸手に武装は無く、無機質に光る瞳が俺たちを睨みつける。そして、それよりも目に入るものは。
「六枚の、翼?」
 ターゲットの背中から生える、三対の翼。それは、全てを裁く聖天使にも似て見えて。
「まさか、マキュラ……?」
 聖十字セイント・クロス隊長、アウル・アントラスが指揮を取り、製造されているアーティファクト。来たる帝国との決戦に向けて、極秘裏に開発が進められていた魔力人形。その存在を知るものは、聖騎士団と、王宮の中でも一握りの人間だけ。
 この世界を創造したとされる三大天使の一人、力の化身であるマキュラをコードネームとした対帝国用最終決戦兵器が、今、俺たちの目の前に。
「馬鹿なっ!! 帝国に奪取されたとでも言うのかっ!!」
 間合いまで一歩の距離。タイミングを計りながら、油断無く武器を構える前衛。無機質な瞳はそれを一瞥して。おもむろに、右手を突き出した。
 魔力が渦を巻き、零を具現化する。余りある魔力にものを言わせた力技。現れ出たのは、諸刃の剣。青白く発光するそれは、まさに天使の持つ断罪の剣そのもの。
 遠くから飛来音。一拍して、通り過ぎる矢。突き出される左手。見えない壁に阻まれ、地に墜ちる矢。それが、戦闘の合図となった。
 手加減なんか必要ない。全力で潰す。
「はあああっ!!」
「……っ!!」
 飛び出るフィア。続くライ。突き出されるトライデントの穂先が、マキュラの右篭手に当たる。火花を散らし、装甲を抉るトライデント。しかし、マキュラはそれをただの一払いで退ける。
 入れ替わりに懐に入るのは、大鎌を持ったライ。刃をマキュラの背後に回し、胴を切断せんと鎌を引く。金属同士が擦れあう音が響き、引き抜かれる刃。しかし、まったく気にしてないかのように、マキュラは諸刃の剣を振り下ろした。
「っ!!」
 鎌を戻し、剣を受け止めるライ。しかし、受けきれずに弾かれ飛ばされる。
 剣を振り下ろした状態のマキュラ。
「隙だらけだっ!!」
 側面に回りこみ、炎剣フラムベルジュを振るう。脇腹に直撃し、爆炎を上げるフラムベルジュ。衝撃で、マキュラが少し体勢を崩す。
「貰ったぁ!!」
「……」
「その体勢で、受けきれるかよ!!」
 背後からフィアが。貫く力はトライデント。側面からライが。切り裂く力はデスサイズ。正面からクレイが。穿つ力はロングボウ。
 三点同時攻撃。並みの相手なら、これで致命傷だ。たとえ、それがS級モンスターでも。
 しかし。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
 それは、声にならない咆哮。鋭利な穂先を背中に受け、鋭利な刃を側面に受け、鋭利な鏃を正面に受け。マキュラは、魔力を暴発させた。
 衝撃で吹き飛ばされるフィアとライ。
 向けられる視線は、遥か先のクレイ。
「■■■■■■■■」
 左腕を突き出し、唸るマキュラ。光の帯が渦を巻き、無数の光弾がクレイを襲う。
「っああああああああああああっ!!!」
 防御できる速度じゃない。発光と同時に着弾する魔弾は、クレイの身体を悉く襲う。
「クレイっ!!」
 反応は無い。視線の先には、倒れて動かないクレイの姿が。
「■■■■■■」
 諸刃の剣を振るい、ライを斬るマキュラ。刃を受け止めるが、生み出された真空刃がライの身体を襲う。
 ズタズタに切り刻まれ、言葉も無く崩れ落ちるライ。
 それは、圧倒的な力。圧倒的な恐怖。
「アレックス!!」
 後退し、俺の隣に並ぶフィア。俺は炎剣を地面に突き刺し、術式を編んだ。
「我、想う、爆炎!!」
 爆発する空間。灼熱の炎が、マキュラを蝕む。が、
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
 たった一度の咆哮。それだけで、術は掻き消えた。
 翼を広げ、迫り来るマキュラ。大上段から振り下ろされる剣。それを、フラムベルジュとトライデントで受け止める。
 音速を超えた斬撃は、空間を切り裂き、真空を生み出す。吐き出された真空刃が、俺とフィアを襲う。
「ちぃっ!!」
 斬撃の衝撃に乗って、大きく後ろに跳ぶ俺とフィア。開く間合い。これは、太刀打ちできるレベルじゃない。
「アレックス……」
 不安気に俺を見るフィア。もう、あいつに勝つには、あれしか手は残っていなかった。
「フィア」
「何?」
「これから、俺は禁呪を使う。それでも勝てなかった場合。空間転移用簡易術式陣トランスポーターを使って、チーム・クワトロ全員を第二防衛ラインまで下げてくれないかい」
「それって……!!」
「さぁて、行ってみようかぁ!!」
 フィアの言葉を遮り、フラムベルジュを鞘に収める。禁呪。それは、使ってはいけない、編んではいけない術式。ガルシア家に伝わる、禁忌。
「はあああああぁっ!!」
 魔力を急速に循環させる。はち切れる回路。生まれる濁流。即ち、真眼の発動。
 急激に膨れ上がる魔力。俺の本質。それは、
「召喚」
 呟いた瞬間。マキュラを取り囲むように、四本の火柱が上がった。
 この世の炎じゃない、限界を超えた炎。それは、黒炎という名の獄炎。そして、召喚はまだ続く。
「獄炎を媒介とし、来たれ!! 四神!!」
 東西南北を囲む炎。その形が、徐々に変化する。北の炎は、全てを包み込む亀に。南の炎は、全てを焼き尽くす雀に。西の炎は、全てを喰らい尽くす虎に。東の炎は、全てを葬り去る龍に。
 四つの炎は、一斉にマキュラに襲い掛かる。人形を中心として、混ざり合い、溶け合い、燃やし尽くしながら一つの形となる。
 それは、四神の上に立つもの。神を超えた神。東西南北、その中央に座する黄金龍。その名も、
「出でよ、黄龍!!」
 漆黒の頭を持ち上げ、漆黒の翼を広げ。獄炎を介して現臨した神が、マキュラを焼き尽くす。
「くぅううっ!!」
 神を操る代償として、身を引き裂くような痛みが俺を襲う。神経が焼ききれそうだ。血液が、沸騰する。
「ぐああああああああああぁぁぁっ!!!」
 そして、俺の意識はそこで途絶えた。

―――――――

 第二防衛ライン。クレスケレンスを片手に、私はずっと浮かない顔をしていた。
 ――僕に同情して、優越感に浸って!――
 そんなつもりじゃなかった。つい、口から出た、それだけの言葉だった。
 ――僕に同情なんかするな!! 僕を憐れに思うな!!――
 でも、そんな無責任な言葉が、彼を傷つけてしまった。深く、大きな傷跡。治すことは、出来ないのかもしれない。
 知らず、溜め息が漏れる。私は、私を呪った。
一方、その頃。
 ボクは御影の肩の上で、欠伸を噛み殺していた。
「なぁ、ミカゲ」
「……何だ?」
「あれ、どうにかならないのか?」
 ヴァイスが指差す先。一人ドンヨリとした空間に佇む我らがアーチャー。ここに来たときから、ずっとあんな状態だった。
「……落ち込んでいるんだろう。俺たちがとやかく言うことじゃない」
「でも、なぁ」
「……大丈夫だ。あいつは来る」
「何で分かるのさぁ〜」
 肉球で、御影の頭を叩く。無責任すぎるぞぉ。
「……この部隊の、誰一人としてあいつに同情してないからだ」
「向こうは、そう思ってないかもしれないぜ? ミリアの言葉は、致命傷に近かったからなぁ」
 そう。ボクたちはここに来る途中、ミリアに悠がああなった理由を聞いていた。その時にヴァイスがあからさまに溜め息なんか吐くから、ミリアは更に落ち込んだんだけれども。
「……それは、悠とミリアの問題だ。それより、来るぞ」
 御影が立ち上がった瞬間。空間が湾曲し、何かが吐き出された。
「フィア!?」
 それだけじゃない。傷だらけのライ、全身火傷のクレイ、所々に内出血の見られるアレックスも一緒だった。
「気を、付けて……。あいつは、マキュラは……、化け物……」
 それだけ言って、崩れ落ちるフィア。ほぼ同時に吹き抜ける魔力の風。
 ヴァイスがグラスヴァインを構えて遥か彼方を見据える。やがて、地平線に浮かぶ影。六枚の翼を広げて接近するそれ。あれが、マキュラ。
「……ガブ」
「うん」
 御影に従って、大鎌に姿を変える。
「ミリア、敵だ!!」
 怒鳴られ、身を竦ませるミリア。あれは重症だ。
 緩慢にクレスケレンスを構え、三本矢を番える。弦を引き、狙いを定め。ミリアは、矢を解き放った。
 零秒後にはスタートを切るヴァイスと御影。ミリアも矢を抜きながら、前に出る。
 接近する敵影。握られた剣は青白く発光し、全てを切り裂かんと牙を剥く。
「おらぁっ!!」
 ヴァイスが、放たれた矢と重なるようにグラスヴァインを突き出す。まだ、間合いの外。しかし突き出されたグラスヴァインからは、青白い閃光が迸った。
 術式を編まず、魔力をそのまま叩き出す荒業。しかし、マキュラはそれらをたった一本の腕だけで防いだ。進撃は、止まらない。足止めにすらならない。
 飛び出る御影。詰まる間合い。速い。あのアーティファクト、速すぎる!!
「……くっ!!」
 タイミングが合わず、刃の根元で攻撃する御影。甲高い音と共に、止められる刃。なんて硬さだ。ボクに斬れないなんて……!!
 無造作に振るわれる剣。蒼い軌跡を残したそれは、側面から接近するヴァイスをグラスヴァインごと吹き飛ばす。
 無造作に振るわれる腕。鈍重な外見に似合わない速度で振るわれたそれは、ボクごと御影を吹き飛ばす。
 なんて重い一撃なんだよ。骨が軋むじゃないか。
 ボクを構えながら、着地する御影。無機質な瞳が、ボクたちを見る。
「……っ!!」
「っりゃあ!!」
 同時に攻撃する御影とヴァイス。でも、それは見えない壁に阻まれて。
 まるでハエを追い払うかのように、淡く発光した翼を羽ばたかせるマキュラ。飛び出したのは、高純度の魔力が固まって出来た刃。数は、余裕で二十を超えている。
 ほとんどを弾き飛ばすけど、抜けた刃が御影を貫く。ヴァイスも、同じ状態だった。飛来する三本矢も、当たる前に阻まれる。一切の、物理攻撃の無効化。このままじゃ、打つ手がない。
「当たらなけりゃ、当てればいいだけだろ?」
 通常攻撃を諦めたヴァイス。浮かべるのは、不敵な笑み。
「見せてやるよ。俺が、神槍使いグングニル・マスターと呼ばれる所以を!!」
 絶対的な自信を以って、ヴァイスの真眼が発動する。彼の本質は、絶対。
 グラスヴァインを構え、気合と共に突き出す。穂先が、見えない壁に激突する。しかし、
「甘い!!」
 穂先は、壁に阻まれている。なのに、攻撃は確実に当たっていた。
 マキュラの鎧が火花を散らし、無数の傷を負う。どんどんと、抉れていく。外れることの無い神の槍、グングニルがそこにあった。
「おらおらおらおらぁ!!」
 攻撃を重ねるヴァイス。絶対防御不可能攻撃。それが、彼の真眼の力。それが、彼の二つ名の所以。
 やがて、見えない攻撃がマキュラの左腕を貫く。火花を散らし、爆発する左腕。同時に、壁が消え去る。またとない好機。
「さぁ、反撃だよ」
「……ああ」
 素早く間合いに潜り込み、ボクを振るう御影。研ぎ澄まされた刃が、マキュラの装甲に確実にダメージを与える。
 関節部分に向かって放たれる矢。さすが、後方支援のプロ。勝ちは、すぐそこに見えていた。はずだった。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
 咆哮を上げるマキュラ。膨大な魔力が循環し、何者をも寄せ付けない暴風と化す。
「なっ!!」
「……くっ!!」
 後ろに跳び、距離を取る御影とヴァイス。
 風の中心。異変は、そこに起こっていた。
「嘘、だろ?」
 信じられないといった、ヴァイスの声。マキュラは、自己再生を始めていた。
 貫かれたはずの左腕が再生し、傷が消えていく。射貫かれた関節は繋がり、瞬く間に完全な状態に戻っていく。
 接近を許さない暴風の中。修復したばかりの左腕を掲げるマキュラ。天を指す腕。螺旋を描き、昇る魔力の塊。ヴァイスと同じ、いや、それ以上の荒業。
 暴風より抜け出した蒼い弾丸。無数に分岐したそれは、天から降り注ぐ雨となる。
「ぐあああああぁっ!!」
「……っあああああぁっ!!」
 完全に間合いに入っていた御影とヴァイスが、弾丸の雨に晒される。
 圧倒的な力。終わりのない弾丸の嵐が、それを物語っていた……。

―――――――

 中庭。止め処なく流れる噴水の水を眺めながら、僕は何をするでもなくただベンチに座っていた。
 今頃、ミリアたちが敵を殲滅していることだろう。大丈夫。僕なんかよりずっと強い人たちだから。だから、心配しなくても大丈夫。僕は、元の世界に、日本に帰る方法でも探そう。
「おや? どうしたんですか、ユウ君」
 声は、背後から。僕は答えずに、ただ噴水を眺める。
「皆、前線で戦ってますよ?」
 隣に座ったのは、策士であるクロウさんだった。
「いいんです。僕なんて、必要ないから」
「? それは、何でですか?」
「だって皆、僕より強いし。僕なんか、足手まといになるだけで」
「そんな事はありませんよ。ユウ君は、十分強いじゃないですか」
 僕が、強い?
「ずっと、努力してきたんでしょう? 血反吐を吐くような辛い訓練を続けて、何度も気絶して。でもその度に立ち上がって」
 でも、それは……。
「皆が、僕に同情していたから……」
「違いますよ」
「えっ?」
「同情しているのなら、ただ世話をしていればいいだけです。セイバーという名前のお飾りとして、ただチームに置いておけばいいだけです。強くなりたいと自ら訓練を志望しても、同情しているのなら辛い訓練をさせる訳ないじゃないですか」
「それじゃあ……」
 それじゃあ、ミリアのあの言葉は?
「素直じゃないですから、彼女は。それに、恋愛沙汰には奥手ですしね」
「へっ?」
「いいですか? 君は、必要のない人間じゃない。チーム・アハツェンの親切に応えようと、重ねてきた努力は決して無駄じゃない。もう、君は仲間ですよ。チーム・アハツェンに必要な、ね。だから、胸を張りなさい。少し、慣れない世界で情緒不安定になっていただけですから。それでもまだ同情されていると思うのなら、同情されないぐらい強くなりなさい」
 全てを見透かすような、澄んだ瞳。優しく、力強い声。それを、僕は知っている気がして。ずっと、その声に励まされていたような気がして。
「百済、先生?」
「ん?」
「いえ、何でもないです」
 言って、立ち上がる。不思議と、スッキリとした気分だった。
「どうするんですか?」
「行きます。僕が必要なら、応えないと。それに、皆にも謝りたいし」
 もう、迷わないから。
「スッキリしたようだね」
 チーム・アインスの人たちが、演習場から出てくる。今まで、作戦会議でもしていたんだろう。それに、見られてたみたいだし。
「ほぅ、いい顔だねぇ」
 槍を携えた青年が、僕を見て笑みを浮かべる。
「それじゃあ、俺はちょっくらデートにでも行ってくるわ」
「いいのかい?」
 クレアさんが、その背中に聞く。
「俺たちの出番はねぇよ」
 そう言ってどこかへ行くチーム・アインスのランサー。
「期待されてるね、ユウ君」
 少しだけ、面白がった声。僕は少しだけ苦笑を浮かべて、歩き出す。その足取りは確かに。
「戦場まで飛ばしてあげましょう」
 クロウさんが、術式を編む。展開する魔方陣。それは僕の視界を歪ませて。
「行ってきなさい、悠君」
 そして、僕は飛んだ。

―――――――

 御影が倒れた。ヴァイスが崩れた。チーム・クワトロは、全滅している。もう、成す術がない。
 クレスケレンスを握る手が震える。ううん、全身が震えている。
 圧倒的な恐怖は、剣を携えて迫ってくる。身体が言うことを聞かない。フラッシュバックする過去の光景。トラウマが、身体を支配する。思い出さないように、ずっと忘れたつもりでいたのに。恐怖が、記憶の扉をこじ開けた。
 ――おにいちゃん――
 銀に輝く月。変わり果てた大切な人。貫いたのは自らの力。
 押し留めようとしても、隙間を縫って溢れてくる。恐怖が、感染する。
「たす、けて……」
 もう、声も擦れている。
「だれか……」
 少しずつ、恐怖は近づいてくる。
 耐え切れずに、膝が折れる。死が、頭の中をグルグル廻る。
「たす、けて」
 涙が、頬を伝う。恐怖が、刃を振り上げる。怖くても、目を閉じることが出来ない。身体が、動かない。
 そうして、無慈悲な刃が振り下ろされる。瞬間、
「もう、大丈夫だから」
 刃は、湾曲した空間より伸び出た刃によって防がれた。
「遅くなってごめん」
 剣を弾き飛ばし、空間を割って彼が姿を現す。風にはためくロングコートが、恐怖を視界から追い払ってくれる。
「でも、もう大丈夫だから」
 柔らかい一枚の翼が、私を包んでくれる。
「ゆ、ユウ……」
「少し、離れていて」
 一歩を踏み出し、刀を構えるユウ。私は、頷いて後ろに下がった。
 大きく呼吸を繰り返すユウ。その後姿が、とても頼もしく見えて。
「さあ、行くよ」
 魔力が渦を巻く。ユウを取り巻く風が凪ぐ。全身が、力に覆われる。刀が、影を纏う。ユウの真眼が、発動した。
 鋭く息を吐き、一気に離れた間合いを詰めるユウ。何かに怯えるように、左腕を突き出そうとするマキュラ。しかし、突き出す直前でその腕は斬り飛ばされた。
 宙を舞い、地面に突き刺さる左腕。
 マキュラは剣を振り上げ、攻撃に転じる。続く攻防。金属同士がぶつかり合う音が響く。防戦一方のユウ。そんなユウが攻撃に転じたのは、一瞬の出来事だった。
 振り下ろされる剣を影剣で受け止め、そのまま地面に振り下ろす。深く地面に突き刺さる剣。右腕がそれを離す前に、その腕を切り飛ばす。振り抜く剣。返す手首で、胴を薙ぐ。何をしても攻撃を拒んできた装甲が、まるで紙細工のように切断される。身体能力を上げた状態で真眼を発動したユウは、圧倒的だった。もう、あの頃のユウじゃない。幾多もの地獄を乗り越え、確実に強くなっている。
「これで、終わりだよ」
 そうして放たれる三連撃。悉くマキュラを刻む閃光。
「燕、返し!!」
 勝負は、一瞬だった。圧倒的な力を誇っていたマキュラが、成す術もなく破壊される。これは、真眼が云々というレベルじゃなかった。
「ユウ……」
 今更、何と言っていいのかが分からないけれど。それでも、私はユウに駆け寄ろうとする。でも、
『おめでとう、といった所かな?』
 マキュラの残骸から、声が響いた。一拍置いて浮かび上がる影。
「に、兄さん!?」
 ユウが、驚きの声を上げる。
『必要なデータは取らせてもらったよ。やはり、試作機じゃ対極の英雄は止められなかったか』
 何を言っているのかが分からない。でも、ユウは私以上に困惑していた。
「何で、何で兄さんがここにっ!?」
『悠。全てを思い出したら、また会おう』
 それだけ言って、消える影。ユウはそれを追おうとして、急に膝を折った。
「ぐ、あああっ!!」
 苦しみ始めるユウ。時間を確認する。ユウが真眼を発動してから、五分。臨界が来ていた。
 慌ててユウの元に駆け寄る。
「ユウ!! 早く真眼を解除して!!」
「もう、少し……」
「えっ?」
「もう少しで、何かが分かりそうなんだ……」
 歯を食いしばり、何かを引き出そうとしているユウ。次第に瞳の色が元に戻っていく。
「あと、ちょっと……」
 そこまで呟いて、崩れ落ちるユウ。慌てて、その身体を支える。チーム・アインスとクロウさんが来るまでの間。私は、ただそこにいる事しか出来なかった……。

―――――――

次回予告
僕は、一体何者なんだろう。それは、夢から生まれた疑問。
聞き覚えの無いはずの声。でも、確かにそれを知っている気がして。
思い悩む中、突如失踪するアウルとセリカ。断片的に浮かぶイメージ。
そして僕は、一つの約束を思い出すことになる。
次回
遠い約束・第五章
「白銀の生誕祭」
――大丈夫。もう、どこにも行かないから――




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