風が吹く。緑の野を進み、湿気と死臭に満ちた森を抜け、ひたすら北に向かう。帝国と王国も国境。そのど真ん中に存在する蒸気都市ヴァルハラ。馬車は、そこを目指して揺れている。
「しっかし、今回は難しい任務やなぁ」
石を踏んで大きく跳ねる馬車。その振動の中、フィオが呟く。あれから二日。明け方近くに言い渡された任務は、フィオに難しいと言わせるほどのものだった。
「それに、隊長は別任務に出てるしね」
レナがそれに答える。そう。ケイオスさんは、別の任務。詳細は知らない。
「……」
腕を組んで、終始無言なレイア。あれから、ずっとこの調子だ。俺が話しかけても、一切の無視を決め込むし。たまに視線を感じるなって思ったら、こっちを睨んでるし。
『マスター、任務前にそんな調子でどうするんですか』
呆れた声を出す白夜。うるせぇ、話しかけるな。
『ま、仕方ねぇよ。こればっかりは体質だ』
違う。これは、体質じゃない。これに乗ってれば、誰でもこうなる……。
「き、気持ちワリィ〜」
多分、俺の顔は真っ青だろう。ガタガタ揺れる馬車の中、トラウマの残る森を抜けてざっと五時間弱。目的地は、まだ遠い。
「大丈夫かいな、コウ」
「すごい。顔が黄土色だ」
……すでに真っ青を通り越していたらしい。
「な、なぁ……。まだ、着かないのか?」
「そうやなぁ。あと、一時間もすれば着くやろ」
一時間。それが、遥か遠い。駄目だ。着いた瞬間、俺は倒れるかもしれない。
「でも、コウって乗り物酔いするんだ?」
「……いや、これは誰でも酔うって」
それでも大丈夫なこいつらは、結構な場数を踏んでいるんだろう。さもなくば、ただの化け物だ。
「ほな、ここいらで任務の最終確認でもしよか」
「そうだね」
「……了解だ」
レイア、本日の第一声。味気無いねぇ。
「ワイらの目的地は、知っての通り蒸気都市ヴァルハラや」
言われんでも分かってる。
『黙って聞いてましょう』
『始まったばっかりだぜ?』
「……」
緩衝と白夜に諌められてしまった。
「ヴァルハラは二年前の領土争いで、帝国領から王国領になってしもうとる。要するに、今から乗り込むのは敵地っちゅう事や」
そう。ケイオスさんからの説明によれば、帝国は二年前に強襲してきた王国軍によってヴァルハラを奪われたらしい。今まで水面下の抗争が続いていたから、こうやった強襲には対処が遅れたらしい。でも、帝国もえらくあっさりと手を引いたんだなぁ。
「で、今回その敵地に乗り込む目的は一つ。王国が錬金製造したアーティファクトの奪取。それだけや」
アーティファクト。何だそれ。
(ま、別にいいか)
『適当ですねぇ』
いいんだよ。
「情報部によれば、今そのアーティファクトは、核となる魔力機関とその魔力を伝達する回路、それに基礎甲殻を装備した状態。つまり」
「未完成というわけか」
言葉を引き継ぐレイア。頷くフィオ。
「レナ。
「ばっちり。キースペル一つですぐに展開できるよ」
そう言って、手の中の赤い鉱石を転がせるレナ。あれが、
「しっかし、空間転移ねぇ」
馬車の揺れも幾分と緩やかになり、喋る余裕も出てくる。
「それって、あれだろ? あっちからこっちに一瞬で移動させるやつだろ?」
「……笑えるぐらい抽象的過ぎるぞ、阿呆」
あ、駄目だ。結構ダメージ深いぞこれ。
『仕方ないですよ』
『言われた通りだからなぁ』
う、うるせぇ。
「正確には、転移したい物質を転移させたい空間に繋げるんやけどな」
む、難しい。
「で、この任務を遂行するに当たっての注意点やけど」
頭を抱える俺を置いて、フィオが説明を始める。
「恐らく、ヴァルハラには駐屯軍がおるやろ。で、工場内にもセンサーがあるはずや」
「じゃあ、見つかるじゃねぇか」
「せや。せやから、部隊を二つに分ける」
二つに、分ける? この四人を?
「まず、王都への連絡を妨害する部隊。そして、駐屯軍を壊滅させる部隊」
「通信妨害の部隊はどうするの?」
「それは、ワイとレナの二人や。ワイがヴァルハラ全域に結界を張るから、レナは通信システムをいじってくれ。絶対に、王都にアーティファクト奪取を悟られないように」
「分かった」
えっ? それじゃあ、壊滅部隊は……。
「何で、私とこいつが同じ部隊なんだっ!!」
抗議するレイア。いや、そんなに力一杯に発言しなくても……。
『さて、マスターの恋路はどうなる事やら』
『多分、こりゃフラれるな』
……無視だ。こんな鉄で出来たナマクラの言うことなんて無視だ。
「壊滅って言うても、殺したらあかん。殺したら、もしもの時に厄介や」
「もしもの時?」
「もし、奪取がバレた場合。奪取はギリギリ水面下の策略行為で収まる。せやけど、その時に殺しが発覚してみ?」
もし、殺しが発覚したら。
「大義名分が、王国側につく」
「せや。冴えてるやん、コウ」
「帝国としては、出来れば勘弁して欲しいよね。それ」
だから、殺しは無しか。いや、待てよ?
「答えになってないぞ、フィオ」
そう。答えになっているような、なってないような。
牙を剥く勢いでフィオに突っかかるレイア。だから、そんなに必死にならなくてもいいじゃんかよぅ。
「答えは、遠回しに言うたつもりやけど」
「えっ?」
「レイアなら、相手を殺さずに生かしておける。ヴェルダンテの家系は、活人剣を続けとるはずや」
「それは、確かに……」
しかし、という前置き。
「それなら、私一人で十分だろう? 何で足手まといのこいつが着いて来るんだ」
「コウは、もう足手まといとちゃうで。この一週間、みっちりと鍛えたからな。もう、ワイらの足元まで迫って来とる」
「何?」
「なんたってワイとレナの波状攻撃に反応できるぐらいやからな」
止めろよ。思い出させるなよ。怖いんだぞ? あれ、怖いんだからな!?
『そりゃ、怖いでしょうねぇ』
『一発を防いだと思ったら、死角から攻撃が来るんだからなぁ』
お、お前らまで!! 言うなよ! もう言うなよ!!
「それに、緩衝なら思いっきり斬っても相手を気絶させるぐらいのダメージしか通らん」
『なら、私はお留守番ですか』
そうだよ。お留守番だよ。鞘の中で傍観するしかないんだよ!!
『……私たちが悪かったですから。ですから、そうイジけないでください』
イジけて無いもんね。
『ああ、そうかい』
やれやれとため息を吐く緩衝。
「ちっ!!」
思いっきり不満そうに舌を打ち、瞑想に入るレイア。やがて馬車は減速して。
俺たちは、蒸気都市ヴァルハラに到着した。
既に、コウとレイアは都市に潜入して行った。入り口で待機するのは、アタシとフィオだけ。
「ほな、行きますか」
「そうね」
頷くと同時。フィオは術式を編む。ヴァルハラを囲む、四つの点。東西南北に打たれた光彩は、ヴァルハラの遥か頂点で線を結ぶ。薄い光で囲まれるヴァルハラ。四角錐状の結界が、一切の通信手段をヴァルハラから奪った。
「王都が異変に気付くまで、早くて一時間。結界を張っている間、ワイはここから動けん。頼んだで、レナ」
「了解」
不敵に笑い、アタシは蒸気都市に侵入した。
外の異変に気付かないでいる、ヴァルハラの市民。アタシは、その中を進む。誰も、何にも思わない。誰も、アタシが帝国の人間だと気付かない。何か、平和だねぇ。
「さて、通信システムの中枢は、と」
人目に付かない場所で、端末を開く。表示されるヴァルハラの見取り図。システム中枢は、この都市の中央か。全通信は中枢を通して外に発信されるから、叩くならここね。
端末を閉じ、中央に聳える建造物を見る。結構、いやかなり大きい。蒸気を吹く周りの工場とは一線を引いた違和感。
「それじゃあ、行きますか」
元々、隠密行動は得意だ。そういった家に生まれたんだし。
見つからないように、工場の屋根に飛び乗る。身を低くして、屋根と一体化。隙を見て、跳躍。
大丈夫。気付かれていない。
そうして移動すること数分。アタシは、通気孔からビルに侵入した。
天井の金網から、廊下を確認。大丈夫、だね。
「よっと」
音を立てないように着地。同時に、銃を抜く。弾は、既に麻酔弾に変えている。見つかっても、これで大丈夫。多分ね。
愛銃であるイーグルを構え、廊下を駆け抜ける。システムは、ビルの最上階。
階段を上る。音を立てず慎重に。それでも最高速度を維持して。
壁に書かれた数字で、ここが何階かを判断する。
「あと、二階か」
随分と上ったものだ。次の階段は、廊下を進んだ突き当たり。
軽く息を吐き、廊下に出る。瞬間。
「ん?」
「え?」
警備員らしい二人が、向こう側からアタシを見てる。
「誰だっ!!」
あっちゃ〜、見つかった。ちょっと、油断したかな。
イーグルのグリップを握りなおす。まず、通信機に手を伸ばそうとしている彼に。
「BANG!!」
効果音つきで射出された麻酔弾は、狙い違わず一人目の首筋に。
白目を剥き、崩れ落ちる警備員。そんなに効き目のあるやつ入れたっけ?
「お、おいっ!! 大丈夫か!!」
もう一人が、倒れた一人を揺する。起こされても面倒だし、仲間を呼ばれても面倒なんで、BANG。
「うっ!!」
重なるように倒れる二人目。はぁ、焦ったぁ。
山のように盛り上がっている一点(倒れている警備員とも言う)を跳び越え、駆ける。無駄な時間を取っちゃった。
急いで階段を上る。遠くから、爆発音が聞える。恐らく、コウとレイアだ。上手く駐屯軍が向かえばいいんだけど。
辿り着いた最上階。コンソールパネルが並ぶ球状の部屋。中央の柱が、送信装置だろう。
「さっすが帝国製。すごい術式理論の応用ね」
伊達に、王国の技術の十年先を行っていると言われることはある。
っと、いけない。さっさと作業に移らないと。
パネルを操作して、受信した通信の送信先を王都から帝都の指定場所に変える。次の瞬間には、送信される通信。あっぶない、ギリギリセーフね。
手の甲で額に浮かんだ冷や汗を拭い、次の作業に移る。
「次は、っと」
用意していたダミーの情報を設定し、一定の期間で王都へ送信されるようにする。よし。これで終わり。
あとは、工場に向かうだけだけど。
「大丈夫かなぁ、あの二人」
不安になったアタシは、急ぐことにした。
「足を引っ張るなよ」
「はいはい」
舌打ちをして、工場内部に入っていくレイア。俺も、それに続く。さて。お目当てのやつはどこにあるのかなっと。
しっかし、誰もいないな。どういう事だ?
『どうやら、この工場はフルオートで稼動しているようですね』
フルオート?
『最初にあれこれを設定してれば、あとは全部この工場がやってくれるってか。道理で、人気が無いわけだぜ』
いや、フルオートでもさすがに人はいるんじゃないのか? これじゃあ、あまりにも無用心だ。
『その為の、センサーですよ。高精度かつ高密度でいたる所に設置されています』
『引っかかれば最後。駐屯軍が来て即御用ってわけか』
へ〜。なかなか、便利なもんだなぁ。っと。
端末を操作していたレイアが歩き出す。情けないけど、置いていかれたら何もできねぇからなぁ。
「……ここか」
やがて辿り着く、扉の前。大きく“W”と書かれてある。四番格納庫?
端末をいじくりながら、コンソールパネルを操作するレイア。やがて開く扉。ライトアップされる部屋。
照らし出されたそれを見て、俺は今回の目的を初めて知った。
「これが、アーティファクト……」
幾束ものコードで繋がれた人型の何か。
身長は、平均的な成人男性のそれと変わらない。ちゃんと、人の形もしている。でも、人じゃない。胴体部分の中央が淡く光っている。一定間隔で点滅するそれが、人間で言うところの心臓か。
その間隔と一緒に送り出される光の帯が、血液と言ったところだな。
薄い装甲板。光を通すぐらいに薄いそれ。殴れば、すぐに壊れてしまいそうだ。
『止めておいたほうがいいですよ』
いつに無く真剣な声で、白夜が呟く。
『あれは、装甲板じゃありません。高純度の魔力。その膜です』
『触れれば、塵も残らず消えるだろうなぁ』
そ、そんな物騒なものなのか。よくあのコードは無事だな。
『あれは、非常に高い魔力耐性を持ったコードですから』
『あれで、膜を操作して装甲の型を調整しているんだ』
何だ。お前ら、博識だな。
『前のマスターが、そういった事にしか能のない人間でして』
『嫌でも覚えたんだよ』
……会ってみたいな、そのマスターに。
そんな事を考えながら、視線をレイアに向ける。レイアは、パネルを操作していた。
低い駆動音が響く。同時に、外れるコード。その瞬間、アーティファクトを包んでいた膜は消え去り、骨組みだけが残った。
「……コードネーム、“聖天使マキュラ”か」
呟くレイア。これの開発者は、一体何を願ってその名前を付けたのか。
「後は、駐屯軍を壊滅させるだけだな」
言った瞬間。工場内に、アラームが鳴り響いた。
『システムに介入しても、センサーは反応するんですね』
『さ〜て、仕事だぜ』
遠くから爆発音。何だ?
『音から察するに、爆弾の類でしょうか』
ここの駐屯軍は、まず目的地内に侵入する前に手榴弾でも投げ入れるのか? 一体、どこの特殊部隊だよ。
無言で黄金剣を引き抜くレイア。俺も、緩衝を抜く。
心臓が早鐘を打つ。身体が、高揚する。入り口は正面の一つだけ。さあ、来い。
「っ!!」
影が見えたと思った瞬間。投げ入れられる爆弾。俺はそれが床に落ちる前に、緩衝で叩き切った。
爆発する爆弾。ダメージは無い。全部、緩衝が持っていった。
『無茶するねぇ』
先手必勝だっ!!
雪崩れ込んでくる駐屯軍。あっという間に、俺たちは囲まれた。
「お前たちが、ネズミかぁ?」
非常に脂ぎった声。見れば、やっぱり太っている男がそこにいた。隊長だろうか? 制服が、ぱっつんぱっつんだ。
「悪いなぁ。ネズミは、皆殺しにしろって言われてるもんでさぁ」
下卑た瞳が、弧を描く。
「お譲ちゃん、可愛いねぇ」
中年オヤジか、てめぇは。
「この小僧を始末した後に、俺たちと遊ぼうかぁ」
まさに、三流の悪役が使う台詞。レイア、マジで怒ってるな。あの時と同じぐらい。いや、ひょっとしたらそれ以上。
「……殺す」
「いや、殺しちゃマズイって」
中年の号令。一斉に飛び掛ってくる駐屯軍。やっぱ、時代劇みたいに一対一とはいかないかぁ。
正面の相手を体重移動と共に袈裟懸けに斬り、返す手首で右の相手を斬る。白目を剥いて悶絶する二人。刃の無い緩衝が、初めて攻撃で役に立っている。
『おらおらおらぁ!!』
緩衝もご機嫌だった。
踊るように緩衝を振るう。この一週間、しごかれて生まれた動き。名付けて、回転剣舞。一人、また一人と斬る。この程度の相手、あの鬼に比べたらカスもいいところだ。
しばらくすれば、中年の顔色も変わる。
「やるねぇ」
余裕の声を、青褪めた表情で言われても。
しばらくすれば、俺とレイアに壊滅させられている駐屯軍。驚くことに、刃剥き出しの黄金剣で斬られたやつも生きていた。恐るべし活人剣。
中年は冷や汗を浮かべながら、通信機を手に取る。
「王都へ。直ちに、援軍を送られたし。繰り返す……」
今から呼んで、間に合うものなのか否か。それ以前に、一人になるまで援軍を呼ばなかったその根性に感服ものだ。
つーか、駐屯軍全軍でここに来たのかよ。この中年、どんな考え無しだ?
「さ〜て、お前ら。もう終わりだなぁ」
いや、どちらかと言えば、そっちが終わりなんだけど。
「援軍が来るまで、俺の相手でもしてもらおうかぁっ!!」
一体どこから取り出したのか。巨大なパイルバンカーを右腕に装着する中年。センスが無い。
さっさと終わらせようと、黄金剣を構えるレイア。次の瞬間には、その目が驚愕に見開かれた。
黄金剣の腹で、パイルバンカーを受け止めるレイア。衝撃に吹き飛ぶその身体。いや、それ以前に。一体、いつそこまで移動した?
『バルムンクごとレイアを吹き飛ばすとは』
『間違いねぇ。気をつけろよ、マスター。あいつ、ドーピングに身体強化の術式を重ね掛けしてやがる』
着地したレイアは、舌を打って黄金剣バルムンクを構える。
『私を抜いてください。それで、ようやく互角です』
真剣な声に、俺は白夜を抜く。
攻撃は、同時だった。
同じタイミングで床を蹴る俺とレイア。迫り来る二本の刃。しかし中年はあろう事か、バルムンクをパイルバンカーで受け止め、白夜の一撃を避けた。
「なっ!!」
「嘘だろっ!!」
「速いなぁ。見えなかったぜぇ」
なら、何で避けれてるんだよ!!
『有り得ない。この男、身体中全てを薬で満たしているっ!!』
『
単なる、力任せの攻撃。しかし、緩衝で受け止めてもそれは確かな衝撃を俺に与えた。
「ぐぅっ!!」
『眼球から反射神経に至るまで、全てを薬と術式で強化している。この男、間違いなく最強です!!』
いきなり最強の敵かよ。しかもそれが脂ぎった中年だとはっ!!
『俺にだって予想できねぇ』
一旦、後退する。入れ替わりにバルムンクを振るうレイア。中年の死角を狙い、パイルバンカーを掻い潜って一振り一振りを確実に当てている。が、しかし。
「効かないっ!?」
「ん〜? それが、攻撃かぁ?」
確かに、刃は中年に傷を付けている。だが。
『痛覚もを、消しているんですか』
『もう、あいつは人間を辞めてるな』
大きな手の平が、レイアの細い首を掴む。
「くぅっ!!」
そのまま持ち上げられるレイア。
「いいねぇ。可愛いねぇ」
舌なめずりをする中年。左手で、上半身の甲冑を剥ぎ取る。下に着ていた布製の服も破れ、下着が露わになった。
「き、貴様っ!!」
潰れそうな声を出し、レイアは抵抗を試みる。しかし、そんなものは無意味だった。
「さぁて、何しようかぁ」
ここで、俺が何をしても中年は無視するだろう。痛覚も無いんだから、斬っても何も感じない。殺すことは出来るけど、俺には、そんな事は出来ない。
無力な自分に腹が立つ。俺は、何も出来ない。
――お前の術式は、記憶を読み取るもの――
ケイオスさんは、出発前にそう言った。
――お前の中に眠るもう一つの記憶を読み解き、力に変えるもの――
そう、それは確か。
――覚えておけ。その名は――
憑依術式。
瞬間。脳の回路が繋がった。
「ダウンロード、開始」
垣間見る記憶。少女が、笑っていた。
力が循環する。俺の中にいる俺じゃない誰かが、俺に憑依する。それは恐怖。だが。
「それで、レイアを助けることが出来るのなら」
受け入れてやる。
膨大な魔力に気付いたのか。中年が、俺を見る。
「おおおおおっ!!」
いくつもの記憶が弾ける。いらない記憶、必要な記憶。瞬時に判断して選り分ける。そして、俺は見つけた。
「インストール!!」
俺が、俺じゃない感覚。でも、身体の所有権は俺のものだ。
『これはっ』
『まさかっ』
緩衝白夜が、光に包まれる。
現れるのは二振りの大剣。諸刃の蒼剣と、片刃の紅剣。セイヴ・ザ・キングとオラシオン・セイヴァー。
「お前、何者だぁ?」
「俺か?」
落ち着いた声。
「俺は、功」
視界がクリアになる。
「お前に、地獄を見せるものだ」
そして、床を蹴った。
目障りだ。まず、レイアを掴んでいるその右腕が。
回転と同時にオラシオン・セイヴァーを振るう。紅い軌跡を残して、パイルバンカーと激突する紅剣。
「ぐあっ!!」
腕が痺れたのか、レイアを手放す。落ちたレイアは、苦しそうに呼吸していた。
「頑丈だな、それ」
オラシオン・セイヴァーでも斬れない。なら、
「ひ、ひぃっ!!」
目にも留まらない連続攻撃。紅い軌跡と蒼い軌跡が弧を描き、重なる。度重なる斬撃の果て。砕け散るパイルバンカー。
「確か、左だったよな。レイアの甲冑を剥いだのって」
脇腹に蹴りを叩き込む。身体をくの字にして悶絶する中年。肋骨が折れたな。
「どうした? 痛覚、無いんじゃないのか?」
肘で左の関節を極め、膝で折る。
助けてと懇願するような瞳で、俺を見る中年。俺はそんな中年に、呟いた。
「殺しはしない。地獄を見せるって言っただろう?」
薬の効果でも切れたのか。脂汗を浮かべる中年。
「な、何で……」
絞り出した声は、疑問。俺は、膝を中年の顔に叩き込む。
「お前は、レイアに何をした?」
左肩に、踵落としが決まる。
「何をしようとした?」
剣は使わない。使えば、簡単に死んでしまうから。
「簡単には、殺さない」
ローキックで、右足を折る。爪先で顎を砕く。
悶絶し、崩れ落ちる中年。完全に白目を剥いて、泡を吹いていた。
それを確認した瞬間、身体を覆っていた高揚感が消え失せる。術式の効果が切れたらしい。
元の形に戻る緩衝白夜。俺はそれを鞘に納め、学ランの上着を脱いだ。
「ほらっ」
それを、レイアに投げて渡す。
「大丈夫か?」
「お前……。いや、何でもない」
視線を外して、上着を握り締めるレイア。
「その、何だ……」
「?」
何だ? えらく、歯切れが悪いな。
「おぉ〜い!!」
声がする。視線を向けると、レナがこっちに向かって走っていた。
「大丈夫……っぽいね。うっわ、悲惨だねぇ。特にこの脂」
酷い言われようだ。
「ん? レイア、どうしたの?」
「何でもない」
「そ? ならいいけど」
言って、レナはアーティファクトの前まで移動する。
「$&#%$*‘{?>|}%(-*+&」
聞き取れない単語の羅列。瞬間、レナの持っていた鉱石が輝き、アーティファクトは消失した。
「で、っと」
言葉を紡ぐレナ。青白い靄が、駐屯軍全員の頭部から漏れ出て消える。
「さて、帰ろっか。こいつらの記憶も消したし、フィオもずっと結界張ってくれてるし」
疲れた〜と首を鳴らしながら、歩き去るレナ。
「何にせよ、任務完了か」
「あ、ああ」
「よし。俺たちも行こうぜ、レイア」
立ち上がり、上着を着るレイア。
「……ありがとう」
ん?
「何か言ったか?」
「何でもない。行くぞ、コウ」
俺を置いてさっさと歩いていくレイア。つーか、さっき俺のこと名前で呼んでくれたよな? な?
それが、嬉しくて。俺は、笑みを浮かべながらレイアの後に着いていった。
『あの剣は、確かシオンの……』
『ラオデキアの剣もだ。どうやら、今回のマスターは秘密が多い奴らしいぜ』
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