気がつくと、俺は固いベッドの上で寝ていた。かなりの長時間を睡眠に使っていたんだろう。頭が痛く、そして重たい。
額を押さえながら、上半身を起こす。くらくらする頭。ぼやけた視界が映すのは、クラシック調の部屋。眼下には、部屋一面に敷き詰められた赤絨毯が。
とても、俺が息絶えたあの樹海とは思えない。……?
「って、俺生きてる!!」
当たり前じゃない当たり前を確認する俺。手も足も、五体全てが無事だ。一体、あの後何が起きたのか。奇跡? まっさかな〜。多分、ここは天国だろう。
「俺、真面目だったからな〜」
「起きられましたかな?」
「うおっ!!」
声は、背後から。やっべぇ、全然気がつかなかったぞ。
振り向けば、そこには人の良さそうな笑みを浮かべた壮年の男性が。
「驚かせてしまって申し訳ない。私、帝国で予言師をやっております、ハジャと申します」
「あ、これは親切にどうも」
受け答え方が違う気がするが、まあ気にすることもないだろう。
「俺は、宮本功って言います」
「コウ様、ですね。これから、よろしくお願いいたします」
えらく低い態度で頭を下げるハジャさん。俺、そんなに畏まれる事したっけかなぁ。
腕を組み唸っては見るけれども、そんな事は覚えていない。つーか、この人に会うのはこれが初めてだし。初対面だし。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや。……ここって、どこかな〜って」
とりあえず、差し障りのないところから聞いてみる。そうだよ。俺って、確かあの森の中で倒れたはず。なのに、ここはあの湿った感じどころか清潔感抜群じゃねぇか。
「ああ、そうでしたね」
どこから見ても完璧な笑みを浮かべて、ハジャさんはカーテンを開く。
差し込むのは太陽の光。広がるのは、緑の平野。あの向こう側にあるのが、俺がいた森なのかな。
「ここは、ラオデキア帝国です。一つの大国家と思ってもらって構いません。で、現在コウ様と私がいるここが、ラオデキア帝国皇帝直属特殊部隊、通称、
帝国? インペリアル・ナイツ? 何のこっちゃ。
いきなり登場した意味不明の単語に首を傾げる。
「ははは。まぁ、別世界とは勝手が違うでしょうから。少しずつ慣れてくれればそれで構いませんよ。とりあえず、現段階で貴方様がいる場所さえ分かっていただければ」
別世界。その言葉が、俺の頭を貫く。
そういえば、そうだ。ラオデキアなんて国家、地球上には存在しない。……多分。それに、あの森で見たあの怪物。
「……っ!」
あの光景がフラッシュバックする。あまりにも生々しい、赤ん坊の顔。それを飲み込む、異形の顔。吐き気が、一気にこみ上げてくる。
「? どうしました?」
喉元までせり上がって来た胃の中のものを、根性で飲み込む。喉がヒリヒリするが、そんな事を言ってる場合じゃない。
「ちょ、ちょっと待ってください!! ここが、別世界って……」
「ええ。完全に違う世界です。貴方様のいた世界とは別の常識が闊歩し、それが常識となっている世界」
一息。
「私の予言では、こう出ました。『対極の英雄が、ラオデキア帝国に永遠の繁栄をもたらすであろう』、と。対極の英雄。つまりコウ様、貴方様のことです」
えい、ゆう? 何だ、それ。
訳が分からず、混乱する頭。脳は、ポップコーンみたいに弾けているんだろう。この状況に着いていけなくて。
「ちょっと、待ってください」
本日二度目の、ちょっと待ってコール。
「俺、英雄とかそんなの分からないんですけど」
「いえ、貴方様は英雄ですよ。A級モンスターを1人で倒したことが、その証拠です」
まるで決め付けるように、そう言い放つハジャさん。
「自覚はないようですが、ね」
俺は、実は英雄だけど自分で分かっていない? 何だ、それ。
更に混乱する頭。
「……おや?」
ハジャさんが、視線を扉に向ける。瞬間、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
「邪魔する」
聞きなれた声。入ってきたのは……。
「せ、千夜さん!!」
悠の兄、佐々木千夜その人だった。
その人、だった……?
あれ? どうして、そんなに不審そうに眉を顰めるんだろう。
「……」
沈黙が場を支配する。そんな中、口を開いたのは千夜?さんだった。
「君は、誰かと間違えているようだな」
「そうですね」
苦笑いを浮かべ、頷くハジャさん。
「俺の名前は、ケイオス。ケイオス・ティンバー。このラオデキア帝国が皇帝、ラオデキア19世の直属特殊部隊、
ケイオス? それじゃあ、この人は……。
「君の知っている人物と俺は、まったくの別人だ」
淡々と言って、ケイオスさんはハジャさんに目配せする。かすかに頷くハジャさん。一体、二人の間でどんなアイコンタクトが。
「それでは、私は失礼します。後の事は、ケイオスに任せましたから」
「ああ」
そう言って、部屋を出て行くハジャさん。未だに混乱している俺は、その後姿を黙って見送るしか出来なかった。……呼び止める必要とかないし。
「さて、それじゃあ早速団員との顔合わせ……と行きたいところだが」
やれやれと首を振るケイオスさん。何だ? 何でそんな顔してるんだ?
「入ってくればどうだ、フィオ」
「あっちゃ〜。やっぱ、ばれとったか」
……何だ? 何なんだあのいかにも胡散臭い関西弁は。
頭を掻きながら入ってきたのは、細い目をした青年。軽装備の上に漆黒のコートを着込んでいるその姿は、どう見ても暑そうだ。しかし、当の本人は涼しい顔で俺の傍まで歩み寄ってくる。
「
「ま、ええやん。そう目くじら立てんといてや」
ナハハと笑いながら、細い目で俺をジロジロと眺める青年。
「ほ〜。こいつが、ハジャの言っとった『対極の英雄』かい。なんや、パッとせんなぁ」
「うっせぇ、余計なお世話だ」
「おっ、喋りよったで」
何だ? こいつは俺に喧嘩でも売ってるのか?
軽く青年を睨む俺。しかし、その視線を受けた青年は涼しい顔でそれを受け流した。
「ま、冗談や」
言って、右手を差し出してくる。
「ワイは、フィオ。フィオ・グランツ。今後とも、よろしゅう」
「俺は、功。宮本功」
右手を握り返し、そう答える。
「ミヤモトコウ? なんや、変な名前やな」
「区切る場所と、イントネーションがおかしいんだよ。功でいい」
「なら、よろしゅうな、コウ」
握った右手を離し、フィオは俺を眺める。
「しっかし、あんさん武器とか無いんか? 見たところ、素手やけど」
「武器、か」
両手を見つめる。あの時。両手に現れた二振りの剣。あれが、俺の武器なんだろうか。しかし、今この段階で出すことの出来ないものを武器と呼んでいいのだろうか。
唸る俺。
「なんや、煮え切らん奴やのぉ」
「……確か、地下の武器庫に使っていない武器があったな」
顎に手を当てて、呟くケイオスさん。
「なら、案内したる」
「武器が決まったら、修練場に来てくれ」
「はいよ」
何か、決定事項のように進んでいく話。置いていかれる俺は、その会話の内容を理解するのに数秒の時間を要した。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「ん?」
「何だ」
二人の視線が、俺を直視する。
「武器ってさ、何でそんなものが俺に必要な訳?」
「お前は、この世界にやって来た。理由は知らないが、それは事実だ。しかも、預言者としては一流のハジャがお前の事をあの伝説の『対極の英雄』だと言う。『対極の英雄』は、その力を以って帝国に繁栄をもたらすというのが、その伝説でな。はっきり言えば、戦う以外にお前の存在理由は無いんだ」
それに、と。ケイオスさんは窓の外を見る。
「英雄は、二人で一人。対極というのだから、お前と対になる英雄もこの世界に来ている。心当たりは?」
聞かれ、脳裏に浮かんだ親友の顔。心臓が鼓動を打つ。悠が、この世界に?
「そのもう一人が、敵国に捕らえられたという情報が入った。助けたくは無いか?」
悠が、捕らえられた? 敵国に?
「最悪、拷問による死ということも考えられる」
ケイオスさんの言葉が、俺の頭に直接響く。
悠が、死ぬ?
「帝国のために力を振るうこと。それに疑問を感じるのなら、もう一人の彼を助けるために力を振るうといい。彼を助けることは、結果として帝国に繁栄をもたらすということなのだから」
その言葉に、俺は頷いていた。悠を助ける。それが出来るのが俺だけだって言うんなら、どんな事でもしてやる。
「いい目だ。それじゃあ、フィオ。頼んだ」
「へいへい」
一つ頷き、部屋を後にするケイオスさん。俺は、その後姿を黙って見送った。
「ほんなら、いこか」
「おう」
立ち上がり、フィオの後に着いていく。
紅い絨毯が敷き詰められた廊下を進み、曲がり角を何回も曲がり、階段を何段も降りて。やがて、壁から窓が消えていった。
代わりに、ランプの灯りが多くなっていく。空気も、少し埃っぽくなっていった。
「はっくしっ!!」
目の前で、豪快にくしゃみをするフィオ。
「あ〜、やっぱ苦手やわぁ〜」
鼻を啜りながら、進んでいくフィオ。苦手なら、案内なんてしなけりゃいいのにな。
そうやって進むこと数分。俺たちは、一つの扉の前に立っていた。
「さて、ここが武器庫や」
言いながら、扉を開け放つ。鍵とか無いの!?
むわっとした埃。思わず咳き込んでしまうほど、それは酷かった。つーか、武器庫ならもっと清潔にしろよ!
薄暗い部屋の中。所狭しと並べられた武器の数々。何で、余った武器とかこんなにあるんだろう。
「さ、好きなの選びや」
「そう言われてもなぁ」
立てかけられた剣を手に取り、眺めてみる。思った通り、それは少し錆びていた。ため息を吐き、一つ一つを眺めていく。
そんな中、目に飛び込んできたのは剣とか槍とかに埋もれていたもの。引っ張り出すそれは、一対の刀だった。
「日本刀……じゃないな」
日本刀より幅がある。しかも、柄が長い。
「おっ、何とも言いがたいの見つけたなぁ。『緩衝白夜』やん」
「カンショウビャクヤ?」
「せや。妖刀、緩衝白夜。それがまた、持ち主を選ぶ難儀な剣でなぁ」
緩衝白夜。持ち主を選ぶ剣? 剣に、意思なんてあるのかよ。
両手に持った刀を眺め、首を傾げる。とても、そんな風には思えない。
が、異変はその時に起こった。
『失礼な人ですね、貴方は』
『ったくよぉ。モノを見かけで判断しちゃいけねぇって、ママに習わなかったのか?』
え? 何、さっきの。
辺りを見渡す。けれど、別にこれといった変化は無い。ただ、フィオが苦笑いを浮かべているだけだ。
「気のせい、か……?」
ふぅ。最近、疲れてかたらなぁ。
やれやれと首を鳴らす。
『ほぅ。私たちを無視するとは』
『こりゃ、初めてだぜ』
まただ。また、声がする。一体、どこから。
「聞えたんやろ、声が」
「え?」
「分かるで。何の変哲も無いただの鉄が、いきなり魔力を帯たんや。認められたらしいな」
『不本意ですが、ね』
『何言ってんだ。この方の潜在能力は計り知れない、とか散々感心してたのは、どこのどいつだよ』
今、分かったことがある。声は、脳に直接叩き込まれるように響いている。つまり。
「嘘……」
手の中の双剣を見つめる。信じられない。本当に、この剣が?
『疑り深い人ですねぇ、今回のマスターは』
『ま、何はともあれだ。これからよろしくな、マスター』
マスター、ねぇ。
「ま、ええやん。丁度ええことに、相性のいい武器が見つかったんや」
ほれ、と投げ渡される、革のベルト。二つあるそれは、かなりゴツイ。
「緩衝白夜専用のベルトや。そこのジョイント部分に、鞘を固定できるようになっとる」
専用のベルトなんかあるのかよ。
俺はため息を吐きながら、ベルトを腰に巻く。ケツのあたりで交差するように固定された緩衝白夜。不思議と、抜きにくいことはなかった。
下半身に今までに無い重量を感じながら、身体を動かしてみる。別に、不自由はないな。
「ほな、行こか」
「どこに?」
「隊長も言っとったやろ? 修練場に来いって」
ああ、そう言えばそうだったな。
「行くで。残りの二人の紹介が済んどらん」
二人? えらく少ないな。てっきり、もっと大人数がいるもんだと思ってたんだが。
「なぁ」
「ん? なんや」
「
「そうや。足手まといは、ウチの隊にはいらんっていうのが隊長の持論でな。帝国の最高峰部隊、
で、今まででその試験をパスできたのが、現隊員の三人だけって事か。
「……でも」
でも、なぁ。
「俺なんか、足手まといの筆頭だと思うぜ? 戦い方なんか、全然知らないし」
「それでも、英雄や」
「たった、それだけなのかよ。足手まといになる可能性の高い俺が、その隊に入る理由って」
「やから、気ィ付けてな。一人だけ、そういう事に異様にこだわる、プライドの塊がおるから。ウチの隊には」
人を非常に不安にさせることを言って、フィオは歩き出す。
『意外とチキンですね、マスター』
『それを言ったら、可哀想だぜ。なぁ、マスター』
「……黙ってろよ」
大きなため息。しかし、この先俺はもっとため息を吐くことになる。……フィオの言う、プライドの塊のせいで。
俺は暗雲たる気持ちで、赤絨毯の上を歩いていった。
語り部は、詩を詠う。終わりへと続く詩、始まりへと繋がる詩。
語り部の登場は程遠い。今はまだ、子供が物語を紡ぐ時。
語り部は、ただ時を待つ。いずれとも知れない時を、詩を詠いながら。
語り部が語るべき物語は、まだ輪郭すら見せていない。始まりにすら、至っていない。
語り部は、静かに嗤う。詩を口ずさみながら、意識の深淵で。
始まりを取り戻そう。終わりを取り戻そう。物語を塗り替えよう。
詠う、唄う、歌う、謳う。終わりが見えない、その詩を。静かに、されど猛々しく。
――それは、始まりの詩――
次回予告
知らない世界。知らない言葉。知らない常識。
それでも、馴染もうと努力を重ねる僕。
でも、それを気に食わないと思う人も中にはいる訳で。
いきなりの戦闘訓練。圧倒的に格の違う相手。そんな中、僕は一つの力に飲み込まれる。
次回
遠い約束・第三章
「“真眼”」
――それは、人の本質を引き出す禁忌――
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