第一章〜Another World(後編)〜
-遠い約束〜白銀の生誕祭〜-

 深い深い暗闇の中。光の無い漆黒の中、僕は夢を見ていた。
 ノイズが走る。向こう側には、見た事も無い風景が広がり、それが僕の胸を締め付ける。いつもと同じ夢。泡沫の景色。
 須らく、それは幻。虚ろな幻影。
 でも僕は、それを知っているような気がして。それを知らない気がして。
 曖昧な境界線。それは溶け合い、形を無くしていく。
 ノイズが激しくなる。
 ――ザ、ザザ、ザザザザザ――
 ノイズは砂嵐に変わり、完全に向こうとこちらは断絶される。完全に視界が塞がれ、再び訪れる漆黒。
 緩やかに浮上していく意識。ゆっくりと、現実に向かって進んでいく。
 ――もう、少し――
 そんな声を聞いた気がして。そうして僕は覚醒した。
 ぼやけた視界。映るのは、歪んだ天井。輪郭のハッキリしない四角いそれは、次第にハッキリと浮かび上がってきた。
「ああ、朝か」
 少しだけ、しわがれた声。喉がカラカラに渇いている。水が欲しい。
 カーテンの隙間から差し込む陽光。それは縦に細く部屋を横断している。僕はベッドから這い出ようと、身体に力を込めた。
 上手くいかず、あえなく転落。呼んで字の如く、ベッドから転がり落ちる。
「・・・・・・った〜」
 霞む意識が、微かな痛みを身体に伝えた。
 頭を掻きながら、時計を見る。時刻は、九時半。九時、半。
「えええええぇぇっ!!!」
 飛び起きた。今日は、土曜日。別に遅く起きてもいいんだけど、今日は兄さん仕事あったっけ? あったんなら、もう既に出ている時間で。あの人の事だから、ボケ〜っとした感じで朝ご飯も食べずに出て行ったに違いない。いやいや、よく考えろ。仕事が無かったら、兄さんは今も部屋で寝ているはず。つまり、僕も寝ていてもいい訳で。でもでも、もし仕事があったんなら・・・・・・。
 いい感じで混乱する頭。何を考えているのか、僕にも判断がつかない。
 落ち着けと深呼吸するも、ぐるぐると混乱した考えは回り続ける。あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああ。
「って、いい加減落ち着こうよ」
 自らにツッコミを入れ、立ち上がる。
 何にせよ、確認をしないことには始まらない。まったく始まらないのである。
 驚きで完全覚醒した身体で、自室を出る。兄さんの部屋は真向かい。そのままの足で、僕は扉を軽くノックした。
 お願いだ、今日は休みであってくれ。マジお願い。
「……」
 返答は無し。寝てるんならベッドの中で夢の中。仕事なら、デスクの前で空腹中。
 もう一度、ノックをしてみる。変わらない。
「……埒が明かない」
 ので、思い切って僕は兄さんの部屋へと続くドアノブに手をかけた。
 軽い音と共に、扉が開く。カーテンを閉め切った薄暗い部屋。壁際のベッド。そこが、かなり不自然に膨らんでいた。
 恐らく、いや、確実に。兄さんは、コタツの中の猫みたく丸くなっているのだろう。時折、膨らみがモゾモゾ動くことからして、結構眠りは深いようだ。
「……はぁ」
 なんにせよ、兄さん今日は休みだったわけか。
 あんなに慌てた僕が馬鹿みたいだ。
 沸き起こる眠気。二度寝でもしようかと思ったが、そこまでの眠気じゃない。まったく、中途半端な。
 欠伸を噛み殺し、着替えるために自室に戻る。
 電話が、鳴った。
「誰だろ?」
 首を傾げながら、自室の子機を取る。一拍置いて、受話器の向こうから聞きなれた声。
『悠……。何やってんだ?』
「何って、さっき起きたばっかりだけど」
 はて。一体、何なんだろうか。
『お前、忘れてんな?』
「何を?」
 遊ぶ約束でもしてたんだろうか。それにしても、そんな覚えは無いんだけど。
『ハァ……』
 これ見よがしにため息を吐く功。
『今日、部活だって言ってなかったか? 確か昨日、学校集合で夕方までって話したはずなんだけど』
「……あ」
 思い出した。確かに、それっぽいことを言っていたような気がしなくとも無い。今の今まで、完全完璧に忘れてた。
「あ、あははは」
 乾いた笑いを浮かべる。いやもう、笑うしかないね、これは。
『あははじゃねぇんだよ。いいから、さっさと来い。お前が来ないと、後輩共がどうも落ち着かねぇんだ』
「落ち着かない?」
『人望があるんだよ、副主将。じゃ、早めにな』
 言って、電話を切る功。さて、今の今まで忘れていたということは、準備なんか全然してない訳で。
 とりあえず、着替えよう。朝ごはんは……コンビニにでも寄ろうかな。
「っと」
 制服に着替え、コートを羽織る。鞄は……いらないかな。練習しに行くだけだし。
 テーブルの上に書置きを残し、僕は家を出た。
 コンビニでおにぎりを買って、食べ歩きというなかなかに洒落た行為で学校に向かう。しっかし、何で忘れたのかなぁ。普通、覚えてそうなものなんだけど。
 そんなことを考えているうち、手の中のおにぎりはすっかりお腹の中に。ビニール袋を街頭のゴミ箱に入れ、さらに歩を進める。
 学校、校門前。結構肌寒い風が吹く中、僕は到着した。
 グラウンドへ続く広い庭。中央で水を盛大にぶちまけている噴水。僕はそれに、デジャヴを感じる。
 あの時は……確か二人で……。
 陸上部とかサッカー部とか野球部とかが練習しているただっ広いグラウンドを横切り、柔道場とか弓道場とかを横切って、竹の音が響く剣道場に到着する。
 靴を脱ぎ、一礼して道場内へ。功が、後輩に檄を飛ばしていた。
「ごめん、遅れた」
 振り向く功。
「やっと来たか。いやぁ、助かったぜ。お前がいないと、どうも締まらなくてなぁ」
 頭を掻きながら、困ったように言う功。事実、僕の姿を視認した後輩から順に、動きが格段に向上していた。
 ……僕たちが卒業したら、この部活どうなるんだろ。
 剣道部の今後に一抹の不安を覚えながら、胴着に着替える。
 さあ、練習を始めよう。奴らに抗う力を取り戻すために。
 そんなこんなで、空は黄昏に染まる。練習も、終わり時。今日一日の締めとしての、試合稽古。後輩たちが次々に練習を終えていく。
 で、最後の組。僕と功。主将と副主将。心なしか、ほかの部員たちが身を乗り出しているようにも見える。そんなに注目するほどのものなのかなぁ。
 試合を想定しての練習。使えない技を実戦を交えて練習するのではなく、使える技を組み合わせて相手を倒す。
それが、この練習の目的。試合で使えない技を使っても、意味なんか無い。重点を置くのは、あくまでも使える技。
 互いに礼をし、構える。少し、息苦しい。
「始め!」
 号令がかかる。互いに気合を入れ、剣先を相手に向ける。
「おおおおおぉぉっ!!」
 最初に攻めに転じたのは、功のほうだった。
 竹刀を振りかぶり、面を狙って振り下ろす。僕はそれを受け止め、返す手首で軽くそれを弾く。
 乾いた音が響き、功の竹刀は後ろに流れる。今度は、僕の番だ。
「っ!」
 素早く懐に潜り込み、勢いのまま体当たる。上半身が若干流れていた功は、思ったよりも少ない力でよろめいた。
 体当たりで、前に行く力は殺される。僕は鋭く息を吸い、踏み込みながら後ろへ跳んだ。同時に、速く小さく振り上げた竹刀を斜め下へと振り下ろす。重力に逆らわずに、弧を描いて竹刀が胴を襲う。
 奇襲とも言えるこの打ち込みは、しかし瞬時に振り下ろされた功の竹刀によって阻まれた。
 互いに、一歩も引かない。僕は自分の間合いを維持しようと。功は自らの間合いに潜り込もうと。有効打を狙いながら、足を動かす。
 勝負を決めたのは、僕のほうだった。
「っあ!!」
 ほぼ同時。ほぼ同時に、小手と面、そして逆胴を決める。その速度に耐え切れず、半分に折れる竹刀。過去三回、この技に耐えた竹刀は、今この時を持って限界を迎えた。
「ど、胴あり!」
 試合終了、十秒前の出来事。びっくりして目を丸くする部員たち。そりゃそうだろう。僕にだって、完全に自分の動きを把握しきれてないんだから。
 試合練習終了を知らせる太鼓の音が響く。互いに礼をして、練習は終わりを迎えた。
 ……余談だけど、本来監督を務めるべき剣道部顧問は練習終了後に姿を見せた。何でも、あまりに心地が良いんでついついお花畑の見える海辺の断崖絶壁に行ってたんだとか。練習を見に来ずに寝ていた顧問は部員全員の顰蹙を買い、すごく居た堪れない表情で帰っていったとさ。

―――――――

 空が黄昏色に染まるころ。とどのつまり夕方。人の気分もハイとロウの間を行き来する、とっても半端な時間帯。そんな時間帯にもかかわらず、僕の友人である宮本君はけっこうなハイテンションでぷんすか怒っていた。
 なんとなく可愛らしい表現の仕方だけど、男がこういう怒り方をするとかなり鬱陶しい。今お茶の間を賑わせているぶりっ子タレント以上に鬱陶しいんだな、これが。
 そんなこんなで道場の掃除中。モップ片手に一頻り怒り終えた功は、拗ねていた。これも鬱陶しい。
「……燕」
 何回目だろう、その台詞。
「……」
 取り合わずに、モップがけ。
「……竹刀がいっぱい見えた」
 あ〜もう、鬱陶しいなぁ。
「……」
 さらに無視。言っておくけど、文字を稼いでるんじゃないからね。
「……卑怯だぞ、燕返し」
「はいはい。こっちも竹刀が折れたんだから、おあいこでしょ?」
 何がおあいこなんだか、自分にも分かっていなかったりする。
「う、まぁ、そうだな」
 何か納得するわが親友。単純でよかった。
 納得してくれた功はそれ以上何も言わず、僕も消えかかった火に油を注ぐことはしたくないので無言で、結局はいつものパターンで掃除を終える。
「そんじゃ、帰るか」
「そうだね」
 道場に一礼し、扉に鍵をかける。
「それじゃ、返してくる」
 鍵を振りながら、功は職員室へ。僕は中庭へと向かった。
 校舎を抜け、広がる先にはまたまた噴水が。同じ学校の敷地内に二つも噴水を作る意味なんかあるんだろうか。湿気とか凄いし。維持費だって馬鹿にならないし。
 ほんと、ここって県立なのかなぁ?
 その資金源が、この学校の目下の疑問であったりする。
 いわゆる、七不思議とかいう類のものだ。
 曰く、県立に見せかけて実は私立だ、とか。
 曰く、校長のバックには暴力団関係がいる、とか。
 曰く、教職員全員が学校の維持のためにバイトをしている、とか。
 曰く、学校の地下には金鉱がある、とか。
 曰く、ただ後先考えずにその場のノリで作ったはいいけれど、維持費が問題になるころには生徒も学校に愛着を持ってしまって、改築とか取り壊しとかに乗り切れず、結局引っ込みがつかなくなって仕方が無いから維持費は校長が貯金から泣く泣く出している、とか。
 ……う〜ん。最後のやつが一番それっぽいなぁ。
 そんなことを考えつつ、足は自然に噴水に向かっていた。
 夕焼けの色を反射して、眩しく光る水滴。
 あの日も、大好きな人に連れられて……。
『おねーちゃん』
 っ! 何だ、今の。あんなの、知らない……。俺は、知らない・・ ・・・・……。
 ――もう、少し――
 軽く頭を振ってみる。モヤモヤしていた頭の中は、それだけでクリアになった。
「何だったんだろ、今の」
 考えてみるけど、分からない。まぁ、いいか。それほど深く悩むことでもないし。
 軽く息を吐き、僕は踵を返す。そろそろ行かないと、功が戻ってくる。
 去り際に、もう一度だけ噴水を見る。霞んだセピア色に包まれたあの景色は、二度と浮かんでくることは無かった……。

―――――――

 さて、学校から家に帰るまでの道のりの中に、結構広い公園があることをご存知だろうか。ご存知ないだろうね。今初めて説明したんだから。
 結構こじつけみたいな感じに作られている公園。僕はそこのベンチに、功と並んで座っていた。手には、こんな寒い時期だっていうのにアイスクリーム。
 それもこれも、功が言い出したことだ。
『アイス買ってかね?』
 半ば強制だったんだ。僕は食べたくなかったのにさ。
 そんなこんなで結局意思の弱い僕は、こうしてアイスを食べているわけだけど。
 夕日が、もう少しで水平線上に差し掛かる。そういや、兄さんが何か渡すものがあるって言ってたけど。何だろ。
 アイスも食べ終わり、ベンチから腰を上げる。そろそろ帰らないと、夕食の準備に間に合わない。兄さん一人に任せるのも、何かあれだし。
 頭上でカラスが鳴く。カラスが鳴くから帰ろう、っていうやつだ。
「明日は、何にも無いよね?」
 今日みたいなことがあればいけないから。僕は、功に尋ねる。功は、それを聞いて首を縦に振った。
「おう。明日は休み。いやぁ、久々だぜぇ!!」
 週休二日なんだから、別に久々の休みってわけでもないんだけど。
「それじゃ、帰ろっか」
 言って、一歩を踏み出す。
 ――ドクン――
 功も立ち上がり、横に並ぶ。
 ――ドクン――
 風が吹き、無人のブランコが揺れる。
 ――ドクン――
「悠っ!!」
 公園に、兄さんの声が響いた。
 ――繋がった――
「えっ?」
 風が抜ける。僕と功の間を縫うようにして。吹き抜ける。
 ……いや、何かに、吸い込まれている。
 振り向いたらいけない。分かっているのに。それでも。
「何だ、これ……」
 功の、呆然とした声。僕はその声に引かれるように、後ろを振り返っていた。
 それは、どう形容すればいいんだろう。直線で、捻じ曲がっていて、左右非対称で、崩れていて、白くて、黒くて、紅くて、蒼くて。
 それは、端的に言い表すと、門だった。それも、特大の。
 暗い暗い門の中。風は、我先にと吸い込まれていく。
「来たか、迎えが……!!」
 焦っている。あの兄さんが、焦りを隠せずにいる。
「機を窺いすぎたか。いや、これはこれで丁度いい」
 精一杯の力で、大地を踏みしめる。力を抜けば、間違いなくこの身は孔の向こうだ。
「悠!!」
 強い声で呼ばれる。振り向けば、そこには長い棒を差し出す兄さんの姿があった。
「持っていけ」
 ごく自然に、それを受け取る。
「簡単には、死ぬなよ」
 吸い込む力が、一際強くなる。もう、限界だった。
「くっ、悠……!」
 功が唸る。
「もう、限界だ……」
 それだけを言い残して、孔の向こうへと消えていく功。
「功!!」
 身体が引き込まれる。これ以上は、もう……。
 瞬間、身体が宙に浮き、そして、視界が暗転する。
 そうして僕は、闇の中に飲み込まれた。
 何も見えない中、他の感覚が冴え渡る。そして、それが教える。闇の中に蠢く異形を。遥か天に輝く光を。
 僕は、もがいた。足掻いた。必死で、光に向かって手を伸ばした。
 蠢く異形が、下から僕の足を掴む。絡め取る。そして、深淵へと導こうとする。
 抵抗した。抗った。上に行こうとした。光を、掴もうとした。
 ――行こうよ、下へ――
 声が響く。男でもない、女でもない声。男でもあり、女でもある声。僕は、首を振った。
 しかし、足を引っ張る力は次第に強くなってゆく。抵抗も虚しく、下へ、下へ。更なる深淵へ。闇の底へ。
「嫌だ、行きたくない!」
 足をばたつかせ、纏わりつく闇を払おうとする。
 一瞬の喪失。しかし次の一瞬で、その行為は無に消える。
 僕は天を見上げ、光に手を伸ばす。闇になんか、消えたくない。絶対に、嫌だ。
 ――アウル……――
 そして、指先が光に触れた。
 溢れる光。消え去る闇。その光に目を焼かれながら、僕の意識は遥か彼方へと飛んでいった。

―――――――

 現実とはかけ離れた話をしよう。これは、御伽噺。昔々、千年以上も昔から続くお話の終着点。
 これは、一人の少年が全てに辿り着くお話。事実と真実が混ざり合い、世界を紡ぐ御伽噺。話の主役は佐々木悠。そして主役はもう一人。
 さぁ、創めよう。これは、全てをやり直す物語。これは、全てを取り戻す物語。
 舞台は主役に任せて、語り部は静かに時を待とう。世界という舞台が、私を必要とするまで。
 さぁ、開演だ。あとは全て、台本の指示するがままに……。

―――――――

次回予告
山のように積み上げられた瓦礫。薄く蒼い月が照らす中、僕は彼女に出会った。
“あなたはだれ?”と、黒の少女は問いかける。
僕はその幻想的な光景に、ただ息を呑むだけだった。
次回
遠い約束・第二章
「始まりの詩」
――これが始まりだって、そう思ったんだ――




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