彼は、ただ一つを願っていた。彼女が幸せに、太陽のように笑っていて。その笑顔を、ずっと守りたくて。彼女の平和を、それだけを願っていた。
それは、突然すぎる通告。今日より彼女は、人ではなくなる。
全ては、皇帝の浅ましい欲が生み出した悲劇。神でいたいと、皇帝は言った。そのために、彼女が連れて行かれた。
他にも人はいるのに、何故彼女が。最初にして最大の疑問。
近衛兵として、幼なじみとして、彼は皇帝に詰め寄った。
返ってきた答えは、たまたま目に入ったから。ただ、ただそれだけの理由で。本当に、そんな子供みたいな理由で。彼女は、人を奪われた。
彼は、最後まで抗った。抗って、抗って。そうして、彼は帝国を追放された。
手元に残ったのは、彼女が買ってくれたペンダントと、皇帝を守護するために造られた、近衛第一級兵の証である剣だけ。
彼は、運命を呪った。ただ、彼女が平和でありますように。それだけを願っていた、ただそれだけだったのに。
王国側の攻撃で崩壊を始めた、巨大で無骨な要塞。負傷し、要塞から運び出されてくる王国兵を押し退け、彼は駆ける。あの日から、ずっとこの時を待っていた。
――俺が、救ってやるから――
身体の軋みを無視して、駆け抜ける。崩壊を続ける要塞。一瞬でも判断が遅れれば、それは即刻死に繋がる。
要塞内部は、近衛兵の時に設計図を見た。恐らく、彼女がいるのは、最上階。天に最も近い、神に成り下がるに最も相応しい場所。そして、皇帝もそこにいるはずだ。
瓦礫を掻い潜り、最短ルートで中央部に向かう。
彼女へと続く扉を押し開き、彼はそこに至った。扉は閉まると同時に、それを歪める。後戻りは出来ないし、毛頭するつもりもない。
目の前には既に人ではなくなった彼女と、皇帝がいた。
――余に刃を向けるか――
彼を視界に納め、皇帝は忌々しげに舌を打つ。追放された彼が気に食わないのだろう。その方が、彼にとっても都合がいい。
――・・・・・・――
無言で、皇帝を睨みつける。人一人の全てを奪った存在が、そこにいる。彼は、殺気を押さえる事が出来なかった。
――まだ、諦めきれぬか。もう、人ではないというのに――
呆れたような声。しかし、言葉の端々には限りない憎悪が込められている。
皇帝に刃向かい、追放され、それで尚、この場に立っている。
全てを力で押し潰してきた皇帝には、我慢できないイレギュラーなのだろう。しかし、そんな事は関係ない。あと少しでもすれば、王国兵が彼女を破壊しにここにくるだろう。
それまでに、皇帝を潰さなければ。
――俺は、あいつに地獄を歩かせたくない。それだけだ――
静かに言って、剣を抜く。『セイヴ・ザ・キング』。皇帝を守護するための剣を、彼女の為に守護すべき対象に向け。
皇帝も、剣を抜く。『オラシオン・セイヴァー』。民の祈りを守護するための剣を、私欲の為に守護すべき対象に向け。
そして、剣戟は始まった。繰り返し繰り出される力任せの剣を、正確に受け流す。返す剣で皇帝を袈裟懸けに斬り、反撃として逆袈裟に斬られ。蹴り飛ばされ、瓦礫と激突し、骨が折れる。しかし、反撃に支障は無い。ただ少し、肋骨が折れただけ。
足場を蹴り、勢いに乗せた蹴りを皇帝に叩き込み。手応えで分かる。左腕を、折った。
――下郎がっ! 余が神と知って刃を向けるか!――
――あんたは神じゃないっ! その下らない幻想、俺が終りにしてやる!――
幾度もの剣戟。やがて、それはゾブリという音と共に終りを迎えた。
彼の剣が、皇帝の胸を貫き。皇帝の剣が、彼の腹を貫き。それは、相打ち。
――余は・・・・・・神・・・・・・――
何かに憑かれたかのように呟きながら、皇帝は崩れ落ちる。
――ぐっ・・・・・・! がはっ・・・・・・はぁ・・・・・・っ!――
剣を引き抜き、彼は霞む意識を総動員して歩いた。恐らく、致命傷だろう。もう、助からない。結局、救えなかった。たとえそれが手遅れだった事だとしても。彼は、彼女を救う事は出来なかった。
だったら、せめて。
――おおおおおぉぉぉぉっ!――
扉が破られ、何かが弾丸の如く疾走してくる。彼は終りを感じながら、彼女に寄り添うように身体を預けた。
――・・・・・・心配するな。俺は、いつでも一緒だから――
せめて、彼女が寂しがらないように。ずっと、一緒にいてあげよう。
彼女が、破壊される。溢れる光。たった一人の平和を願った。そうして今、彼女の側にいる。後悔はない。だけど、もし叶うならば。もう一度、全てをやり直せるのならば。
――うん。ずっと、一緒だよ・・・・・・――
最後の時。消えていく中、彼は愛しい人の声を聞いた。
次のページへ 前のページへ