序幕 春の巫女
〜瞬く間に華は散り、やがて生命の灯が終わり消えようとしている〜

 春が消えた日。
 夏が消えた日。
 秋が消えた日。
 冬が消えた日。
 季節が消えた日。
 人はどう捉えたのだろう?この季節が消えたことを……。
 原因は妖怪の仕業。動機は不明。何の為に妖怪は季節を奪ったのだろうか?
 そして、季節が無くなると共に人は生きる力を失っていった。
 幾千の歳月の時が経ち……。季節を失ってから百年の時が経った。
 この世に人がいなくなるまで、残り千人を切ってしまった。
 この世は妖怪が支配する世界。人はもう、希望を失っていった。
 そしてもう、人が居なくなる世界は近い。

 音の無い山の頂上に、一つだけ神社が存在していた。
『桜花神社』
 ここには、春を司る巫女がいた。
 名は春原椿。
 椿は庭で長い髪を靡かせながら古の書物を読んでいた。
 その本のタイトルは『植物図鑑』。季節が消えたからというもの、大地には緑色の草むらしか生えていなかった。桃、青、黄、赤、紫、白などの季節の色なんて、この大地に染まっていなかった。染まっているのは緑だけ。そんなつまらない世の中に椿は飽きてきた。どうして、自分がこんな時代に生まれてきたのだろうと。そんな事ばかり考えていた。
 しかし、椿のいる庭には桜の花びらが舞っていた。その庭の真中には大きな桜の木が立っていた。霊木とも言えるような大きな木に桜の花が咲いていた。
 この土地は結界が施されており、妖怪は春の霊気を取れない。だから、春の状態が続いているのだ。しかし、結界と言っても完全に防げると言うわけではない。時には、結界が破れてしまうことがある。そのために椿はこの神社を護らなければいけないのであった。最後の春の力を護るためにも。
―パリン……―
 ガラスが割れたような音がした。かなり小さい音であったが、椿はこの音を逃さなかった。椿は横に置いていた大きな二つの扇を手に取り、音のした方へと飛んでいく。
 椿には風を操る能力があり、空を飛ぶことも出来る。しかし、その飛んでいる姿は少しぎこちない。華麗に飛んでいるのではなく、ふわふわ浮かんでいると言ったほうが妥当だ。
―ゴツッ!―
「いっったああぁ……!!」
 椿の悲鳴は神社全体に響いた。風を操る方向を間違ったのか、椿は頭からダイレクトに桜の木に当たってしまった。
「千草が創った空を飛ぶキャラは、どうして何かの物体に当たるのかなあ……?」
 掟破りなことを言う。その発言は無視をしても良いくらいだが、一応忠告をしておこう。
 それが、オチなんだ。空を飛ぶキャラ=何かにぶつかるという方程式で繋がっているんだ。
「ん〜、何か嫌なことを言われた気分だけど……今はそれどころじゃ!」
 地面に落としていた大きな二つの扇を取り、すぐさま音のした方へと向かって飛んだ。
 そして、音のした所へと辿り着く。やはりそこは、結界が少しだけ壊れていた。
 この事を予測していたか椿は、胸に仕舞い込んでいた一枚の符を出した。
「暁!!」
 そう叫ぶと、その符が鳥の姿……、鶯の姿へと変わった。
「椿、何か用? ……言わなくても分かってるけど」
 そう鶯は喋った。
「暁……キミってボクの式紙としての自覚あるかな……? 分かってるならやって頂戴」
 暁という名前の鶯は、椿の式紙であった。暁は式紙としての自覚はあるが、主に忠実である普通の式紙と違って暁の性格はマイペースである。
「椿って本当、式紙使い荒いね……。えっと……結界を修復後、侵入した妖怪の索敵……と」
 破れていた結界が一瞬にしてみるみる張られていく。そして、侵入した妖怪を探ろうとした時、
「椿! 上だ!!」
 暁の声と共に椿の頭上から火炎球が飛んできた。
 すると椿は火炎球を避けずに、持っていた扇を構えた。
 集中。そして一瞬。力の限り扇を振るう。
―ゴゴゴッッ!!―
 轟音と共に風の流れは変わり、火炎球の流れ方が方向転換した。
 火炎球はそのまま空へと昇り、爆発した。
「こんな贈り物要らないから返品したら、……しかしまた派手に爆発したね」
「さすが我が主。怪力娘だねー」
「へえ……暁、そんなに絞め殺されたいんだ?」
「そんな事したら、動物愛護団体に訴えるぞー! ……って、人少ないから無いかそんな団体……。昔は人も大勢いたから団体で動く組織もあったけど……今はね」
 もはや今は妖怪が支配する世界。
 人間なんて、稀に見るぐらいになってきていた。
 そして椿も生き残った人の一人である。
「陰気臭い事言わない。今は前向きに生きるんでしょ?」
「そうだね。……っと、雑談してたら獲物が落ちてきたよ」
 空から黒い物体が落ちてきた。
―ドサッ!―
 焦げ臭い匂いがする。
 その黒い物体は見事に焦げ焼けていた。
 だが、焦げ焼けている割には原形を留めていた。
 その物体を見て椿は気付く。
「ん〜? これって……犬神? どう、暁?」
「……みたいだね。これは犬神の式紙……使い魔みたいな物だけど」
 犬神。名前の通り犬の神で、狼が妖力を得た時に変化する中級妖怪である。といっても、忠誠心であり滅多に人間に攻撃する事が無い妖怪。だが今回は違った。椿に襲ってきたのだ。人間に攻撃するはずが無い妖怪が……。これは何を意味するのだろうか?
「どうやら……大変な事態になってきたみたいね」
「椿を狙ったということは……最後の春の力を奪いに来た……それしかないもんね」
「……暁、ちょっと使いを頼むよ」
 椿はそう言うと、胸から3枚の符を取り出した。
 そしてその符に念を入れる。
「……これで良し。暁、この符を他の巫女に届けて。今すぐに」
「やっぱり椿って式紙使い荒いよ……。式紙もそんなに使い荒かったらストライキ起こすよ?」
「愚痴を言ってないでさっさと行って。ボクだってそんな使いに暇があったら行ってる。これからボクは準備を始めるから」
「はいはい……。届けば良いんでしょ? その後は……椿が作った桜餅ということで」
「……我侭な式紙。作っておくから早く行きなさい」
「はーい♪」
 暁はこの符を他の巫女に渡すため飛び立った。